狸系の里 シーズン2

はじめの一歩、二歩、散歩・・

情報民族音楽学序文 音楽の科学的モデリング

「音楽に国境なし」と言われているが、音楽について語り合うためには話題に選んだ音楽について共通な理解をもつことが必要になる[日本音楽との出会い]。

音楽はそれぞれの歴史的展開に則って、表現上の約束事が多様化している。そのため、この約束事を各参加者がどのように捉えているか明確にすることなしに話を始めれば、約束事の食い違いから起こるかみ合わない議論が延々と続く事になる。実際、日本音楽では音楽は演者(継承する流派)が演じる芸能であり、西洋音楽では音楽は作曲家の創作物と見なされる。そこで、特に断りなく音楽について語り始めると、日本音楽では音でなく演者について語り、西洋音楽については演者でなく音(メロディ、音の表情など)について語ることになる。ここで西洋音楽の発想で日本音楽の演者の歌い回しに注文を付ける発言があると、この発言は日本音楽の発想では(その曲の唯一の演奏者である)演者を否定する発言として受け止められる。逆に、日本音楽の発想で西洋音楽の特定の曲の特定の団体による営業成績に関する発言(媒体の売り上げ、決定版CDなど)は、西洋音楽の発想ではきわめて制限された視点に基づく発言として受け止められることになる。

音楽が地域の歴史を反映しつつ成長してきたことを考えると、語り合ってある結論に辿りつくには、語り合う焦点を明確化することが是非とも必要になる。そのためにはそれぞれの音楽を明確に書きしるすことが必要であろう。その一つの方法は、それぞれの音楽について、音楽を忠実に模擬する模型を作製することである。

 

現象を忠実に模写する模型を作って現実の現象を議論する方法は、自然科学の分野で古くから行われてきた。実際、例えばNewton力学で衛星の軌道を予測するときには、惑星と衛星の運動に関する数学模型(運動方程式)を作り、数学模型の挙動を解析し、その結果から衛星の軌道を予測する。自然科学の分野で使われる模型を科学的モデルと呼び、科学的モデルを作る活動を科学的モデリングと呼ぶ事がある。

自然科学の模型は観察の対象となる実体の属性と、複数の属性間の関係として捉えられる。そこで、自然科学の模型は観測データ(数値データ)から組み立てられていると考える事ができる。これに対して人文・社会科学分野に現れる対象には、音楽のようにそれ自身には形がなく、継承する人によって維持されるある基準にもとづく再現行為によって具体化されるものがある。この観察に従うなら、音楽を知るための模型は継承者が維持する基準を示すものとなり、模型を構成するデータは数値のみとは限らない。

例えば西洋音楽に倣って音楽を継承する人の役割を作曲家、演奏家、演出家(演奏会場の設営など)を区別すると、作曲家の創作物を書きとめる楽譜が重要なデータとなる。楽譜に書かれた内容を知るための模型を電子楽譜と考えると、電子楽譜の構造は電子文書記述言語(例えば[MusicXML])に類似した(五線譜については楽譜記述言語が作られているが、民族音楽の分野に現れる楽譜には楽譜記述言語が作られていないものもある。)構造を取るはずである。

人文・社会科学の分野でも科学的モデリングが試みられているが、仮想的なジオラマ[**京都**]、伝統邦楽の再現[**阪大**]など、個別な事物の仮想的な再現が主となり、自然科学における科学的モデルのように研究の基礎的位置を得るまでには定着していないものと思われる。その中では、TEI(Text Encoding Initiative)、e-Buddhismなどテキストデータベース制作活動に関連して、文献資料の電子化活動には興味がもたれる。本研究の一つの目標は、自然科学におけると同様な、基礎的な位置を占める事が出来る科学的モデルを確立し、情報科学の新しい適用分野を明らかにすることにある。適用の対象としては、テキストデータ、音響データなど、多様なデータが現れる音楽史学・民族音楽学[Prentice-Hall]の分野を選んだ。この目標を探索する過程で、次の三つの中間的な形態を検討した。

第一形態:混沌状態 (AD HOC status)

兼常清佐日本民謡研究」という報告書があって、研究活動は昭和26年に終わっているのだが、声の波形データから数値計算で高さを導く方法に則って一貫してデータが作られている点が非常に興味深い。譬えて言えばデジタル信号処理に基づく民謡研究が有効であることを、電子計算機が現れる以前に、実証したものと言える。

情報科学の知見を音楽学に適用する方法論の最初の案は、必要性が認められた機能を手当たり次第にソフトウェア化するというものだった。機能としては例えば、声のパラメータ表現の推定から始めて、声のパラメータ値を解析して音楽音声としての特性を推定し、音楽の特性に適合する記譜法を創作し、楽譜を編集・印刷し、楽譜を仮想的に演奏して音を再現する、などが想定できる。

これによって兼常清佐遺作集に報告された資料を電子的に再構成し、決して完成されたとは言えない兼常の研究を再起動するきっかけとする。

次に示すように、この方法論は研究計画という意味では甚だ計画性がなく、長期にわたる研究遂行には次の問題を起こす。

第二形態:情報民族音楽学

無計画にソフトウェアを作成し続けると、一つのソフトウェアを長期間維持するためには作成したソフトウェアの運用に係わる次の作業が派生する。

1) 使っている計算機システムの変更に伴う問題点の解決:次の変更が起こり得る。

  1. ハードウェアの変更
  2. ハードウェアシステムで稼働している基本ソフトウェア(OS)の変更
  3. ソフトウェアが引用しているアプリケ-ション(データベースシステム)の変更
  4. など

2) 複数の異なるソフトウェアを相互接続して協調させる

3) 作成したソフトウェア、データを共通のツールとして利用するために流通させる

結果的には研究作業しているのか、ソフトウェアの運用のための維持作業をしているのか、判らない事にもなりえる。

そこで、ある研究分野の全体像を見て、現れるソフトウェア・データを予め列挙しておこうか、ということを検討した。ソフトウェア・データの構造の骨格(要求仕様)を予め固定しておけば、同じカテゴリのソフトウェア・データが極端に違う構造を取る危険をある程度は回避できるのではないか。これはある意味で、情報技術の標準化と言える。但しここで言う標準化は、情報技術製品の標準化でなく、設計の標準化となる。

この定式化には、情報技術側で想定する標準化を誰が実行できるかという問題が起こる。

第三形態:Algorithmic modeling

複合的な研究課題を遂行する上では、方法論の選択が課題となる。情報民族音楽学は、情報科学民族音楽学という二つの研究領域に跨って導入される。方法論は、新規に考案するか、関連する研究分野のそれに順子するか、という選択肢がある。関連する研究分野は、情報科学民族音楽学とがある。民族音楽学は、C. Seegerによれば、音楽学言語学民族学の三つの研究領域が交差する領域にある。さらに音楽学について、西欧様式以外の様式の音楽を想定するならそれを継承する活動に注目することになる。伝統邦楽の場合、雅楽、声明、琵琶楽、能楽、三味線音楽、歌舞伎などのジャンルがあり、ジャンル毎に継承者が決まっていて、音楽の理論も継承者毎に決まっている。結果として伝統邦楽には、音楽の継承者を横断的に見た「日本音楽」という概念は形成されていない[日本音楽との出合い]。

以上の考察から、情報民族音楽学の方法論は情報科学の領域で確立することとした。情報科学の一つの特徴は実世界の事物を模擬することにある。アルゴリズム(algorithm)は本来人間の計算能力を模擬する数学的模型であり、アプリケーションソフトウェアは実世界の業務を模擬する能力をもつアルゴリズム(ソフトウェア製品として流通する)を言う。そこで、対象とする音楽の、考察対象とする性質を忠実に模擬するソフトウェアを音楽の模型と呼び、物理学(一般に自然科学)で物理模型(一般には科学的模型)をとおして自然を理解するように、情報民族音楽学の活動を、音楽の模型をとおして音楽の理解を進める活動として定義することとした。この定義によれば、情報民族音楽学の方法論は科学的モデリングであるが、音楽という対象は物理的な実在というよりはそれを継承する人が継承に際して維持している基準(この基準という言葉は、品質の良い製品を製造するために作業者が維持している基準に近い意味があり、具体的な現れとしては工業標準を構成する規定が参考になると考えられる。)に近いものがある。

ここでいう基準を理解するための模型は、物理学における物理模型と数式モデルのように均質な構成法をとるものよりは、音楽の継承者の活動に関する模型、音楽に関する模型と音楽の継承者の活動に音楽がどのように対応するかを示す文書を組み合わせたものになると予想される。例えば西欧様式の音楽では、音楽の継承者として作曲家と演奏家があり、作曲家と演奏家との係わりを示す文書として作品の構成を示す楽譜が存在する。楽譜の模型には、印刷面のレイアウトを示す模型、作曲家が曲を規定するために指定した音の基準を示す模型、演奏家が演奏の計画を策定するために指定した音の基準を示す模型(演奏家の解釈を示す模型)がある。楽譜の模型は一意なものとはならず、目的に応じて最適なものを作成することになる。情報技術的には、数式モデルの範囲を越えて複合文書の構成技術に近いものが必要となることが予想される。

 

 

民族音楽学における科学的モデリング(Algorithmic modeling)は成立すれば、人文・社会科学における科学的モデリングの一例を与える。ソフトウェアが現実世界の事物の模型を与える事を論拠にしている関係から、ここで言うアルゴリズミック・モデリングはソフトウェア制作のためのモデリング技法(ソフトウェアモデリング[小林・木村])に近いものになるが、次の違いがある。第一に、ソフトウェアは時々刻々実世界の事物を模擬することから、ソフトウェアモデリングでは結果の振る舞いだけが問題になり、実世界の何を模擬するかを明記する必要はない。第二に、ソフトウェアは製品であり、製造コストの軽減が主要な課題となる。他方アルゴリズミック・モデリングでは、実世界の事物の記録を残すことが目的となる。このことから、忠実な模擬である事を示す文書とアルゴリズムを記述する文書とを必ず対で残すことが必要になり、確立した記録は不要として破棄されるまでの期間(それが数世紀に渡るものであっても)維持される必要がある。

 

このようなモデルの概念を導入し、運用することは、情報科学の分野においても、新しい研究課題を定義することになる。

Algorithmic Modeling

Algorithmic Modelingという言葉は、科学的モデリングという用語からの類推で、Algorithmを使い科学的モデルを作成すること、程の意味をもつ。要は、自然科学なら数式を使ってモデルを作るが、自然科学以外の人文・社会科学までを含んだ意味での科学分野では科学的モデリングが数式の範囲には収まらないだろう、という観察に基づいて、数式を様々なデータ・タイプに対応できる「アルゴリズム」という言葉に置き換えてみた、という話。

ところでソフトウェアモデリングという言葉は既に世の中にあり*1、「ソフトウェア制作のためのモデリング」という意味で使われている。ソフトウェアは実社会のモデルであることを考えれば、わざわざ新しい言葉を作らなくとも 「ソフトウェアによるモデリング」という意味でソフトウェアモデリングと言えばよいだけの話のように見える。それはそうなのだけれど、次のような紛らわしい事が起こる。

科学的モデリングに準じる意味でソフトウェアモデリングというと、焦点はモデルにあてられる。他方、ソフトウェア制作のためのモデリングを考えるなら、焦点は、そのモデルを使って制作されるソフトウェア側にあてられる。前者の場合利用者として想定されるのはモデルの利用者であり、後者の場合には想定される利用者は制作されるソフトウェアの利用者である。実際に動くソフトウェアが利用者にとって良いものになるには、対象の性質に加えて、ソフトウェアが走る実行環境の性質を取りこんでおく必要がある。他方、モデルが利用者にとって良いものであるためには、実行環境がどうあってもモデルが実行環境に適合して忠実なものであり続けることが必要になる。

と言う訳で、評価基準が違ってくる。

そう言う訳で、あえて言葉を変えてみたという次第。でも結果の見え方は、伝統譜の電子化であったり、伝統音階(旋法)の再現であったりする。

*1:例えば、片岡雅憲著、ソフトウェアモデリング、日科技連ISBN:4817160160

信楽さん第三形態

情報処理と人文科学との係わりについて信楽さんがこれまでに作っていたメモの構成は、大きく分けて次の三つの形態があった。

第一形態:混沌状態^^;

兼常清佐日本民謡研究」という報告書があって、研究活動は昭和26年に終わっているのだが、声の波形データから数値計算で高さを導く方法に則って一貫してデータが作られている点が非常に興味深い。譬えて言えばデジタル信号処理に基づく民謡研究が有効であることを、電子計算機が現れる以前に、実証したもの。

最初は、声の推定から始めて、声の特性の推定、楽譜の編集と印刷、楽譜からの音の再現、他を手当たり次第に^^;ソフトウェア化すると、決して完成されたとは言えない兼常の研究を再起動するきっかけくらいにはなるのではないか。

という、研究計画という意味では甚だ行きあたりばったりな案。

第二形態:情報民族音楽学

行きあたりばったりにソフトウェアを作成し続けると何が起こるかというと、一つのソフトウェアを長期間維持するための作業*1、異なるソフトウェアを相互接続するための手続き、ソフトウェア・データを流通に乗せる*2ための、送り出し・受け入れ処理が発生する。しまいには、研究作業しているのか、維持作業をしているのか、判らない事に(多分^^;)なる。

そこで、ある研究分野の全体像を見て、現れるソフトウェア・データを予め列挙しておこうか、ということを考えてみた。ソフトウェア・データの構造の骨格(要求仕様)を予め固定しておけば、同じカテゴリのソフトウェア・データが極端に違う構造を取る危険をある程度は回避できるのではないか*3

第三形態:Algorithmic modeling

ある研究分野を固定した時に、情報分野からその研究分野に発言できるか*4という問題が起こる。伝統邦楽では、特定のジャンルには特定の継承者が決まっている。従って、「伝統邦楽における声の特徴」という簡単な一言が、複数の継承者を横断して特徴を知るという内容をもつことから、実効はとても複雑な様相を呈することになる*5。このような活動を行おうとすれば、純粋に情報科学の立場から音楽について発言し、様々な音楽の分野で継承されている具体的な内容については継承者の判断に任せることにするのがよいのではないか。

と言う訳で、モデリングという領域に注目し、これを基盤として、その上に情報民族音楽学を組み立てたらどうなるか、という問題としてみた。科学的モデリングという用語があり、物理学など自然科学は自然をモデルと同一視して展開される。これ位に、モデルが基礎的な位置にある。「科学的」モデリングという以上、人文・社会科学にも科学的モデリングが成立するはずであり、作り方を工夫してその分野の基礎として使われるモデルが出来たら、それはそれで面白そう。

そんな目論みから、民族音楽学における科学的モデリング(特にここではAlgorithmic modelingと言うことにする)を検討する、ということにして、これが第三形態。

形態を決めたら、これからは第一形態の実体みたいな事ができるのではないかと思ったりもしている。

*1:システムが変わる、OSが変わる、使っているアプリが変わる、・・・

*2:商品化という意味ではなく、共通のツールとして利用するために。

*3:ある意味で、情報技術の標準化-但し、製品でなく、設計の。

*4:情報技術の土台とその研究分野の土台の双方について理解し、双方が、発言する際の土台を認定出来ているか。

*5:ある継承者が認知する音楽の精度が継承する音楽とその外にある音楽との間で全然合っていない場合、関係者を集めて議論することがとても難しい。参考「日本音楽の基礎概念」では、著者の領域である日本音楽とその外にある西洋音楽との認知の精度が全然違う。

何か読みにくいなぁ

手元に「日本音楽の基礎概念」*1という本がある。日本音楽の本は探さないとなかなか手に入らない事もあって、手に入った本については丁寧に読もうとする。この本は15項目の質問に著者が回答するという体裁で編集されている。副題に「日本音楽のなぜ」とあり、日本音楽について読者が陥りがちな疑問に答えるという内容をもっている。比較のために西洋音楽の事物を引用しているのだが、なんか読みにくい。

たとえば項目6の「日本音楽にはなぜ指揮者がいないのか」をみる。この項目6の解説文中では、筆者は指揮者を「タクトを振って演奏者を指揮し、音を揃える」役割をもつと捉えている。さらに日本音楽は音を揃えないものであるとして、指揮者の職能には否定的な見解を書いている。つまり、読者への回答は、要約すれば、「音を揃えるという指揮者と言う職能は知っているが、日本音楽の特徴とは合わないので、日本音楽では指揮者がいない。」あたりか。

これはこれで一理はあるのだけれど、見方が浅すぎという印象も残る。

以前テレビで高校のブラスバンドの部活に密着した放送があって、そこでは指揮者は演奏者の創意の方向性を指導して、音楽の音を仕上げるという役割をもっていた。上の回答では音楽の音の仕上げを指導する役割については全然触れられていない。

上記の項目6の回答文をこのあたりまで踏み込むように直すとすると、信楽さんなら例えば次のようにもってゆきたい*2

  1. 伝統邦楽の常識に従えば演奏者は、それぞれが所属する家系で日々修練に励み、演奏当日は家を背負って参加することになる。その演奏家の演奏を当日に指導する人など不要であり、また、よほどの偉い人でなければ家を背負って参加してくる人に指図なんかできない。
  2. 西洋音楽の常識に従えば、ある曲の演奏は特定の家が継承するということはなく、演奏者の総意に基づいて企画されるプロジェクトとして行われる。この場合には演奏を仕上げてゆくために、演奏者の創意を方向付けて取りまとめるリーダー役の人物が必要になる。指揮者はこのプロジェクトリーダーの役割を負う。*3

全くの初心者か伝統邦楽の関係者なら原文のままで納得してもらえるのだろうけれど、中途半端ではあってもその外側についても知見がある人*4にとって浅い比較はかえって気持ちがひくもとになる。音楽のような対象を隅々まで知るなど、ジャンルを限定したってできるわけがないので、不注意に言葉を使うと文章の作者が想定していない範囲について何か一言言ってしまう事にもなる*5。まずは使おうとしている言葉の全てについて、予め意味を定義して、その定義の範囲を超えないように注意する、位の注意は必要だろう。

*1:[ISBN4595571585]。放送大学の印刷教材。

*2:実際に文を起こすほどの才覚はない。あくまで構想^^;

*3:但し、指揮者がいつでもタクトを振るかというとそうでもなく、曲の演奏法によっては、第一バイオリンの主席奏者が兼ねたりすることがある。演奏者が指揮者を兼ねる場合には、タクトを振る人はいないが演奏を指導する人はいることになる。

*4:筆者とか^^;

*5:上記「日本音楽の基礎概念」項目8の「日本音楽ではなぜ調弦・調律をしながら演奏するのか」の最後のパラグラフに「ピアノはなるべくアマチュアの出る余地をふやそうとした結果のあらわれである。不器用な民族が考えた結果であろう。」という残念な文章がある。日本音楽の関係者にとっては音楽とは「由緒正しい家系が継承する技芸」という意識がこう言わせているのだろうとは思いつつ、日本音楽の関係者以外には理解できない文になっていると思わざるを得ない。相互理解を達成するには自身の言葉遣いにも注意しないと。

情報と社会あるいはソフトウェアとコミュニティ

情報社会科学という言葉について、一つの定義付けを試みる。

 

情報技術の成果というと、ソフトウェアが挙げられる。ソフトウェアはある計算環境で動くものであり、これまでは、ある汎用の計算環境を想定してその上で動くものとしていた。最近では、ソフトウェアの一部をハードウェアに置き換えて実装することもあるから、ここで言うソフトウェアはソフトウェアとハードウェアが協調的に動作するように実装されているものまで含むことにする。

 

ソフトウェアはあるコミュニティで行われている業務を助け、そのコミュニティのメンバーが行う作業を置き換えるために制作する。このことから、アルゴリズムとソフトウェアトの間に次の違いが見つかる。

アルゴリズムはそれ自身が閉じた形で定義される計算手順。

‐ソフトウェアは対象とする業務と関連づけて定義されたアルゴリズム

ソフトウェアは定義に沿って、情報と社会とを関連づける。この関連づけは、図式的にはこんな形にかける*1

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この図式は情報科学の側から見ているので、コミュニティからの一つの要求に対するソフトウェア単品の制作という図式になっている。以下では焦点を当てる対象をコミュニティに変更した結果として現れる研究分野を考える。

 

コミュニティ側には、要求したソフトウェアを目的に沿って使い続ける業務がある。この業務は時間とともに発展し、それに伴って次の事象が起こる。

‐ソフトウェアの運用によってデータが作成され蓄積される。

‐新しいソフトウェアに対する要求が発生する。

‐それまでに導入し稼働しているソフトウェアとの協調作業が発生する。

このような事象に問題を起こさず対応するためには、コミュニティ側にも情報処理に関する課題が発生し、これを解決する技術が必要になる。

 

コミュニティ側に発生する情報処理に関する課題を把握するには、コミュニティ側の活動を全体として把握することが必要になる。情報処理と関連づけるためにコミュニティ側の活動を把握するという課題からは、情報と社会との係わりのあり方を研究する一つの課題が導かれると期待される。これが均質な単一の課題となるかについては自明ではない。

情報処理関係の活動が均質な単一の課題としてコミュニティ側に定着している例としては次がある。

‐コミュニティ側の活動が企業活動の場合には、既に、業務プロセスの改革(Business Process Re-engineering、BPR)、企業資源の計画(Enterprise Resource Planning、ERP)などの名称で企業活動の全体像を捉える方法が提案され、実践されている。

‐コミュニティ側の活動が自然科学分野の研究活動である場合には、その分野の基礎理論からコミュニティの活動の基盤に関する技術が共有される。この基礎理論に関する活動の形で活動の全体像を捉えることが考えられる。具体的には、数式モデルの解析、現象を再現するための設備の設計と実現、現象を観測するための設備の設計と実現などの活動がある。

 

これに対して、コミュニティ側の活動が人文系分野の研究活動である場合には、一つの分野内での活動が、独立したサブコミュニテいが互いに緩く関連しあって行われるという傾向が見られる。これは、人文系分野の研究活動が、文献・資料の精査の結果として仮説が導かれ、仮説群の中から信頼できる仮説を選びこれを定説とする、というような、文献・資料を対象として精査し、その結果から昨日的に結論を導くという方法に沿って行われることによる。

文献・資料とソフトウェアとの係わりとしては、文字の並びによって構成される文書資料(テキスト)について、テキストデータベース作成、テキスト中に特定の語句が現れる位置を調べる語句検索、特定の語句の出現頻度解析(Oxford Concordance Program、OCP)、特定の順序で結合した語群の出現頻度解析(マルコフ過程との関連でN-gram法)などが行われている。また、ある種のカリグラフィを電子化する技術についても研究例がある。

 

ソフトウェア技術の観点からは、テキスト、音響、並びにイメージ及び図を統合する、複合文書技術が発展している。筆者は、複合文書技術と関連する情報技術を総合的に利用する分野として情報技術と音楽学とが相互に関連を調べ、音楽に係わるコミュニティの中に、情報技術と係わる新しい研究分野を拓く可能性を調べるという活動に興味をもっている。

民族音楽学の分野では、数値計算による信号解析法を音楽分析に適用した例が電子計算機の登場以前に行われている(兼常清佐日本民謡研究)。兼常の研究は数値計算による信号解析法を基礎としており、情報技術の導入法が見易い。但し、最新の情報技術を前提とすれば、信号としての音楽がもつ特性を抽出し、結果を分析しグラフ化し、音楽の特性に適合する専用の記譜法を設計して、音と楽譜と文書資料との組み合わせを一つのデータとして保存する、といった処理も可能になる。このような処理を、五線譜のような既存の記譜法によらず、音楽に忠実に行うことができれば、音楽学のコミュニティの一角に新しい研究課題を定義することもできるのではないか。

 

以上により、「情報民族音楽学」という言葉が指す内容として、問題を引き起こすことなく情報関連の知見を民族音楽学の分野に導入し、情報処理技術を利用しつつ活動を行う民族音楽学、という定義を描いてみた。

*1:制作の中にある箱の間に→を書かないのがミソ。

背伸びせずに

4月の初めに予想外の出来事があり、当初は落ち着き先が見通せない事もあって焦っていた。

 

最近、落ち着き先が見えてきたので一息ついているのだけれど、今までみたいな生活パターンは取りにくくなっている。まぁ、今までが例外でこれからが普通、と言ってもいいような話なのだけれど。

 

ここまでに書いた音程の話も、結局、数年前から書いていた前の版の文書で曖昧にしか書けなかったところをしっかり書きましょう、という話で、話として完結させるまでにはまだまだ労力と時間とがいる。もともと、何かを言いたければ、心理テストの知見でなく物理的・音響学的なデータを揃えて、データに基づいて話しましょう、という立場に拠っているので、ただでさえ時間と労力とがかかるやり方でやってきたのだが。

 

といっても別にどこかと契約している話でもないから、できる範囲で、生活のパターンに合わせて続けてゆく事になる。そのためには今まで以上に、全体の青写真を明確にしておかないと何事も中途半端になってしまうのだが。しかし、青写真を調整するとまた最初に戻ったみたいな感じになって、何やっているんだか感にとらわれてしまう・・;

現象と法則、実践と基準あるいは・・・

自然現象は自然界の法則に従って起こる。さらっと言われるとごもっともという以外にない。ここで「自然現象」という言葉にもう少し拘ると、意外に底が深い所にある事に気付く。「自然現象」という時には、決して、目に見える、あるいは耳に聞こえる・・現象そのものではない。

高い所から物を落とすと、重いもの(鉄の玉など)は軽いもの(鶏の羽など)より早く落ちる。日常起こる出来事を「自然現象」と思うと、自然界では「重いものは軽いものより早く落ちる」と言いたくなるが、これは出来事レベルの話であり、これを「自然現象」の箱の中に入れるためにはこの出来事を見る見方を決める必要がある。物を落とす場合には、落とす出来事が起こる場所がもつべき特性(静止しているか動いているか、どのような力が働いているか)の指定がある。「現象」を自然界の法則の形で書くにはさらに見方に関する指定が加わる。物を落とす場合なら、物の形が落ちている最中に代わる事がないという仮定(剛体仮説)を置いて、物に働く力を一点の重心に纏める。そうすると、ニュートンの法則をこのものの落下に関する現象に適用出来て、重心の運動に関する方程式が立つ。

 

これが音楽とどう関係するかを言う前に、言葉遣いを整理する。

自然現象に、法則、現象、出来事の三段階の見方を認める。

これは音楽の場合に、対応する次の三段階を認めてよいのではないか、という事でもある。

‐規範:楽譜に書かれた音楽の仕組み、

‐実践:演奏家が意図する演奏(を記録する楽譜)、

‐現象:聴かれる音

規範(楽譜)と現象(音楽音)との関係は単純ではなく、西洋の音楽でさえ、演奏家は楽譜に書かれたとおりに演奏している訳ではなく、演奏家による楽譜の解釈が行われている。ピアノの場合、鍵盤を押すタイミング、鍵盤を押す力、ペダルの使い方をはじめとする演奏家の裁量で音が変わってくる。さらに演奏家の実践と演奏されて聴かれる音(現象)との間には、ピアノの調律技術・整備技術、会場の設定など、音が影響を受ける要素がある。

 

こんなことを考えると、前の記事で計算した音程の仕組みは、楽譜に書かれた音楽の仕組みの分析ではあっても、演奏家が意図する演奏の分析には直接は繋がらず、ましてや、当日の会場や楽器のコンディションに影響をうける実際の音を分析して音楽の性質を調べる活動からははるかに遠いと言わざるを得ない。ただ、互いの間に包含する関係があってもよいと思える。

採譜という作業はこの、実際に演奏された音のいくつかの例から始めて、演奏家の意図する演奏、さらには楽譜に書かれた音楽の仕組みを明かそうという試みの実践であると言える。今の所直観的な判断ではあるけれど、これらを直接繋ぐ経路を見出すことはまだ難しく、出来る事は各段階で資料を集めて整理し、各段階での見え方をはっきりさせることなのではないか。うまくゆけば、包含関係の外側にある基準を使って内側の基準を整理できるかもしれない。例えば、その音楽には狭くとも半音までの音程しか出てこない事がその音楽の理論上から保証されているなら、採譜データの処理結果に半音より狭い音程が現れた場合、これを例外事象として扱うことができる。演奏上のミスか、あるいは表現上の意図か、ここは判断が必要になる。