狸系の里 シーズン2

はじめの一歩、二歩、散歩・・

趣味礼賛

今、古い資料を整理していたら、日本楽譜出版社によるVivaldiの大協奏曲イ短調(Op.3 No.8)の楽譜が出て来た。この曲は、解説の頁によれば、”L’estro armonico”という表題がついているという。この表題は「調和的な詩」と訳されているが、もちろん、「調和的」という語句は、ハーモニー(和声)の意味を曳いている。楽譜についていた解説に拠ればVivaldiという人、優れたディレッタント(dilettante)という評価があるらしい。という訳で、表題は、「Vivaldiはdilettante」から連想して、Viva Dilettante → 趣味礼賛 β(^ ^;)

 

この大協奏曲が書かれた時代は、音楽の作り方について、時代の変り目にあたっていた。主流はいくつもメロディが重なって曲が進行する音楽だったが、それにまざって、調性の枠組みに従って繋がった和音により曲が進行する種の音楽の芽が出始めていた。この協奏曲はまだいくつもメロディが重なって進行する曲の書き方が残っている。Vivaldiというと四季があって、これは詩の内容に沿って音楽が展開する。もう少し後になると、音楽がある形式*1に沿って書かれるようになる。

 

時代の変わり目に立ち会った人は、皆、それぞれの信じるままに前に進み、時間が経ってから振り返るとそれぞれの仕事の位置付けが見えてくる。いくつものメロディを重ねて曲を進める書き方はJ.S.バッハにより押し進められて完成の域に達し、形式に従って音楽を、調性を対比させながら展開する書き方は、ハイドンモーツアルトベートーヴェンの仕事を通して形が確立してくる。こういう、いくつもの流れがやがて集約されて未来が確立するという見方は、音楽は一人の天才が時代を変える、といった考え方とは相いれないが、信楽さん的には、一人ひとりが信じるままに進んだ先に未来があるという考え方の方が素直に思える。

 

さて、話をVivaldiに戻して・・

 

大協奏曲イ短調(Op.3 No.8)の解説の頁(日本楽譜出版社刊)に、オイレンブルグ版解説中の一文として次の文が引用されている。「何れにしても,この種の形式が初めて世に現れたのはヴィヴァルディに於いてで有る。この様な作品を最初に作った巨匠は所謂“ディレッタント”で有ったに違いない。しかし乍らそれは高貴な“ディレッタント”である」

 

このディレッタントという言葉は、芸術や学問を趣味として愛好する人という意味をもつ。ただし趣味と言ってもその振れ幅が大きく、日本大百科全書(ニッポニカ)の解説には次のようにある。

「芸術愛好家、好事家。本来はイタリア語で熱心な音楽愛好家を意味したが、現行は芸術一般の愛好家をさす。芸術研究の体系的、学術的専門家と異なり、趣味嗜好から芸術品の蒐集、鑑定、研究を行うもので、玄人はだしの域に達する人も多く、しばしば専門家の盲点をつくこともある。一般には、半可通の芸術知識をひけらかす人をさげすんでいうことが多い。[船戸英夫]」

 

「情報民族音楽学」などと言ってみてもまだ漸く種から芽が出た状態であることを考えると、体系的、学術的研究分野などとはおこがましくてとても言えない。だからこれからは、最終目標を(情報科学の基礎研究などと大げさにはせず^^;、高貴な)“ディレッタント”において、趣味の研究です、という事にしよう。

*1:ソナタ形式などの。

スーちゃんの成長記

スーちゃんと言ってもキャンデーズ(ラン、スー、ミキ、古い・・?)ではなく、数学の話 β(^ ^;)。以下はこの位の軽いノリで書いているので、専門家の目から見るとヘンなこと書いているかもしれないのだが。

 

それはともかく・・

 

数学は公理系と証明図式とから出来上がったシステムであり、唯一無二、成長するとしたら証明済みの命題が増えるだけのように見える。だから数学が成長すると言ってもイメージがわきにくいように見える。しかし詳しく見てゆくと話はそれほど単純ではない。

 

その1.スーちゃんの精神的な成長

ある数学理論を展開している途中で証明できない命題に出くわすことがある。証明できないけど証明はしたい、そんな時にどうするかと言うと、公理系に仮説を追加して公理系を修正するA^ ^;)。

 

証明できない命題のイメージは次のようなものだろう。はじめに「数学は公理系と証明図式とから出来上がったシステム」と書いたけれど、ここには一つの落とし穴がある。この文章、次のように考えないだろうか?

「数学は有限個の記号を使って書かれた公理系と証明図式とから出来上がったシステムであり、証明はいつも有限のステップで完結する

頭の中の世界ではこうなると期待するのだが、実際に取りかかってみると無限個の記号や無限のステップが要ったりすることがある。

 

実数のような身近なものでも、数学はいつでも、存在することを保証するが具体的に掴めることまでは保証しない。存在は明らかなのだけれど、書ききるには無限個の記号が要るような対象もある。一つの例に超越数がある。

実数の中には、整数を係数にもつ代数方程式の根になることが決してない数というものがある*1。x*x=2かつx>0と書くと、この有限個の記号は√2の値を厳密に書いている。数πや数eは「整数を係数にもつ代数方程式の根になることが決してない数」であるので、方程式の根という書き方ができない。人が読むなら略記法を使って有限個の記号で書けるとしても、これらの数に関する性質を証明しようとする時には、有限個の記号で書ける数と同じ扱いになるとは限らない。

証明のステップを1,2,3,・・・のように書くと、有限個の範囲を超すステップというものがそもそも無いように見える。でも、そもそも実数という集合は整数だけを使っては対応させきれないほどの要素をもっているので、実数の一つ一つについて性質を証明していたら整数全体を使ってステップを数えても数え切れない。

ここで整数全体からなる集合をωのように書いて、これを0の代わりに使ってみる。ωの一つ後、その一つ後、その一つ後・・・のように要素を決めて集合を作ると、ステップを数える道具にはなるが、要素は有限個では収まらない。そこで、証明が終わった時のステップ番号をιとすると、これが整数の範囲に収まっているかと言うとその保証はない(超限帰納法を参照)。

 

有限な存在である人が無限個のステップを追う訳にもゆかず、ではどうするかというと、成り立ってほしい命題を仮説として導入する。この仮説が既存の公理と衝突して全体がクラッシュしたら元も子もないので、そんなことはないように充分検討するのはもちろんのことなのだが、ともかく、仮説の追加でもとの理論の公理系は変化したことになる。集合論連続体仮説はこの、追加された仮説の例になる。

 

ともかく、数学理論の名前は変わらずとも、公理系の全体は変化し、成長したことになる。

 

その2.スーちゃんの社会的成長

数学がいろいろな分野と交流をもつと、数学の言葉を使ってその分野で確立された概念の模型を作ることがある。このときに、数学としてはきわどい要請を受けることがあり、結果として数学自身が変わることがある。

 

Newton力学との交流の結果解析学が考案され、極限(無限大と無限小)の扱いという問題が出て来た。極限は始めて微積分を習う時に面食らう。lim a→0とlim b→∞とがある時にlim abがどうなるかと言うと、lim a→0だからと言ってlim ab→0とは限らない。例えばa(n)=1/nでb(n)=nならa(n)b(n)=1だから、lim ab→1になる。どうしてこういうことが起こるかと言うと、極限は、これが出てくる前の実数の境界線を踏み出しそうなところにいるから、ということなのだが。

 

実数の世界にはアルキメデス性という性質があって、勝手に選んだ正の実数α、βにはいつでも自然数Nが取れてNα>βとできることになっている。だから∞という実数があってこれをβとすると、どんなα>0にもあるNがあってNα>∞とできることになる。これでは何が∞なのか、ということになる。こういう場面に直面したときに二つの対応が考えられる。

  1. 一つはこれまでの実数を実数と認定して、極限値を扱うための回避策を作る。
  2. 一つは極限値を数と認定できる新しい実数を創作する。

この二つの対応は実際に行われている。つまり数学の世界には、厳密に言えば性質が違う、二つの実数があることになる。このうちAが、微積分学でとられている対応策で、極限値を扱う回避策としてεδ論法を使う。Bの代表的なものにはロビンソンの超準解析に使われている超準実数がある。非常に大まかに言うと、超準実数は部分集合としてこれまでに意味での実数をすべて含み、さらにこれまでの意味でのどんな実数βをとっても*α>β>0となるような*αを含む。注意点として、1/*αはこれまでの意味でのどんな実数βをとっても、0<1/*α<βとなる。

Newton力学が立ちあがったころには無限大・無限小についての把握がまだ曖昧で、数のように考えられていた時期があったらしい。εδ論法という回避策が出来るまでには議論の蓄積があり、解析学という数学の形にまとめられた結果として、実数論が成長したと言える結果が得られている。

 

数学を唯一無二の存在と思う時に、もし、数学理論と実社会との交流が無視されているとしたら、数学にとってもあまりよい結果にはならないのではないか。以上、雑談終わり A^^;)

*1:超越数、例には円周率πや自然対数の底eがある。

異文化交流の難しさ

信楽さんは昔、情報系の用語を取り扱う仕事をしていた。ある日電話で、「木構造が分岐構造を意味するのは何故か」といった内容の質問があり、咄嗟には質問の意味がつかめなかった。

 

質問してきた人に詳しく聞いて、質問してきた人の領域では「木構造」という言葉の意味が情報系とはえらく違っていることが分かった。質問してきた人の領域で「木」という言葉は製材された「木材」を言い、「木構造」という言葉は「木材で作った構造物」を意味する。ということなら、分岐構造にはならないだろう。

 

ここで問題は、同じ「木構造」という文字が、質問してきた人にとっては、「分岐構造」と「木材で作った構造物」という、似ても似つかぬ対象物を指し、しかも「木構造」という字が現れた時にデフォルトではその文字が指す意味についての注釈がついていない、という事なのだろう。予め意味がぶつかることが、判っていれば文字を変えて対応がつくのだが、あとから現れた文字と先住者である文字とがぶつかるのは困る。加えて、あとから現れた情報系の文字「木構造」も、情報系では既に存在を確立しているから、意味がぶつかるから文字を変えてくれと言われても変えようがない。

 

似た話は、異なる文化圏が重なる所でいくらでも拾う事が出来る。例えば「音楽」という言葉の指す内容は、伝統邦楽及び日本の音楽のように「上演されたもの」と考えるか、西洋音楽のように「作曲家の創作物」と考えるか、少なくとも二つの意味がある。この意味の違いは、音楽の呼び方に素直に反映してくる。前者の場合、音楽は「演者の曲」のように呼び、後者の場合なら「作曲家の曲」のように呼ぶ。

 

日本では西洋の音楽でも無理やり「上演されたもの」という枠組みで扱おうとするから、「名演」が表に出てくる*1西洋音楽の基準に忠実に従うなら「名演」というのは無理な扱いであり、一枚の名演に満足する位なら、様々な表現を聞き比べる方を選ぶ。ヴァルヒャが演奏したバッハの作品とグールドが演奏したバッハの作品は表情が全く違うと言われているが、どちらの演奏が正しいというものではなく、一つの曲から様々な演奏家が多様な表情を導いている点が面白い。

音楽に国境なしという標語は一見尤もらしくもあるけれど、お互いに変えようもなく完成されている音楽を無理なく扱うのは想像以上に難しい。問題は常識に係わる部分が実はその領域に固有だった場合で、こういう部分は常識として定着し、かつそれを表す言葉は別に「専門用語」という注釈がついている訳ではない。

 

異文化交流を本格的に検討するなら、こういう「常識」に係わる部分をもれなく取り出して、その意味する所をその領域の外から見ても判るように説明しきらなければならない。ある文化の習得には一生かかることを思えば、常識を完全に説明しきるのは無理としても、入口を開けて参道に入る位の所までは誰にも開かれた説明資料ができないものかと思う。

 

19世紀終盤から20世紀前半くらいまでの間「世界は唯一の理論に従って動く」という信念が一世を風靡した。この信念の震源地は自然科学と言われている。しかし、量子力学相対性理論とが現れて、対象のサイズによって従う法則が変わることが知られると、「唯一」の辺りが段々と曖昧になってきた。

もともと自然科学の法則は観測データから帰納的に導かれている分、観測データを一般化した所がある。一般化に無理があればある条件下で法則が壊れても何の不思議もないので、自然科学者は様々な設定化で法則が壊れない事を確認してきた。つまり自然科学の「唯一」という言葉は確認に拠って保証されるものであり、当初から保証されている訳ではない。音楽のように人が作ってきた文化ならばなおさら、ある法則が「唯一」だったら大発見、という世界だろう。

自然科学で帰納的に得た法則を保証する努力が積み重ねられたように、これからの異文化交流では、「唯一の」論を仮定するのではなく、互いの常識の内容について仮説を作り検証する、確認作業を積み重ねることが必要なのではないか。

 

異文化交流、言うは易く、行うは難し。

*1:名曲という場合、音楽を上演されたものと考えるなら誰でも知っている曲を指し、作曲家の創作物と考えるなら、音楽史に深い影響を与えた曲を指す。両者の基準には*若干の*ずれがある^^;。

第三形態は骨格が大事

前の投稿もそうだったけれど、文章がどうもくどい。聞く所によると第三形態は骨格だけになるという流儀があるようなので_β(^ ^;)、信楽狸の第三形態でも今日以降は、意味がはっきりしていて判ることばを使って簡潔に書く事を心がける。

 

前回の投稿は、要するに次を視野に置いた目論みという所か・・*1

1)情報民族音楽学の目的は音楽を書きとめること。

2)書きとめる目的は、その音楽の、その音楽に即した形を知ること。*2

3)音楽を書きとめる手段として、音楽の科学的模型を使う。

科学的模型は、物理学における物理模型のように、書く対象(自然現象)と自然に同一視できる模型とする。

4)音楽の科学的模型として具体的には音楽を模擬するソフトウェアを想定する。

次の特性をもつ。

  1. a) 文書資料に対応する電子文書。

これは、文書資料という「現象」を計測した結果として電子文書を位置づける事に当たる。計測する特徴要素の選び方、計測の精度は模型の忠実度に影響する*3。模型の忠実度を高める基礎は対象に関する知見の厚み。

  1. b) 楽譜資料に対応する電子楽譜。

これは楽譜資料という「現象」を計測した結果として電子楽譜を位置づける事に当たる。楽譜資料は意味のある単位毎に区切って特徴を捉え、この特徴を計測する。楽譜資料上に書かれたものを構成している、音楽上意味のある単位の捉え方、計測の精度の設定は模型の忠実度に影響する。模型の忠実度を高める基礎は対象に関する知見の厚み。

  1. c) 音程・旋法・音色など、楽譜を構成する最小構成要素に対応して、これらの要素を特徴付ける特徴量を導入し、この特徴量を計測した結果。例えば、「宮、商、角、徴、羽」の各音の音程、一つの文字で書かれる音が実際に取る音のパターン、楽器の音色の特徴。計測の精度の設定は模型の忠実度に影響する。模型の忠実度を高める基礎は対象に関する知見の厚み。

5)ソフトウェア工学で言われるソフトウェアは商用を前提とする。科学的模型は対象を正確に模擬し、模型を必要とする関係者には地域・時代を越えて誰にでも同じ内容を提供する。商用ソフトウェアはコストと性能のバランスで評価される。この要請を満たすために科学的模型の製作には次のi~iiiを保証する仕組みが要る。

  1. 模擬の忠実度
  2. 複数個の科学的模型間での相互運用性

iii. 科学的模型が動作する環境の移行に関する容易性

 

ソフトウェア制作プロセスは{要件定義、外部設計、内部設計、実装とテスト}の四つに分ける。

商用ソフトウェアを制作するにはこの四つのプロセスを実行する組織(提供者)がソフトウェアの実装を利用者に提供するという仕組みをとる。科学的模型としてのソフトウェアを提供するためには次に配慮する。

イ)「i. 模擬の忠実度」については、対象に関する知見が蓄積され社会的に共有・維持管理されること。

ロ)「ii. 複数個の科学的模型間での相互運用性」及び「iii. 科学的模型が動作する環境の移行に関する容易性」については、ソフトウェア制作プロセス自体がモデル化され、各項目の具体的な作業実行時にはこのモデルが利用可能になること。

 

なにもしなければ、声明譜や上代歌謡譜などの伝統譜を電子化して、譜に書かれた音を合成して、メロディを確認しても、情報科学音楽学の双方とも喜ばない。結局、どちらから見ても目標が不完全に見える。情報科学から見ると話題が特殊すぎ、音楽学から見ると既につみあがっている大量の文献への貢献が見えてこない。

この辺まで仕込んでおけば、技術がこなれてくれば、情報科学から見ると面白い技術的知見が見つかり、音楽学から見ると資料に到達するまでの道が見えてくるだろう・・か?

*1:全体像だから込み入ってはいるが。

*2:普遍的に使える共通記譜法があるという考え方には、それが確認できた時に従う。確認できるまでは、その音楽に即した形を書く。複数種の音楽について「その音楽に即した形」が書きとめられていれば、書きとめられたものを、比較する方法を決めて、比較する。

*3:文書資料上の手書き文字を標準的な符号化文字集合が含む文字に対応づけたときには、文書資料の書き手の筆跡情報が取捨されることがある。

情報民族音楽学序文 音楽の科学的モデリング

「音楽に国境なし」と言われているが、音楽について語り合うためには話題に選んだ音楽について共通な理解をもつことが必要になる[日本音楽との出会い]。

音楽はそれぞれの歴史的展開に則って、表現上の約束事が多様化している。そのため、この約束事を各参加者がどのように捉えているか明確にすることなしに話を始めれば、約束事の食い違いから起こるかみ合わない議論が延々と続く事になる。実際、日本音楽では音楽は演者(継承する流派)が演じる芸能であり、西洋音楽では音楽は作曲家の創作物と見なされる。そこで、特に断りなく音楽について語り始めると、日本音楽では音でなく演者について語り、西洋音楽については演者でなく音(メロディ、音の表情など)について語ることになる。ここで西洋音楽の発想で日本音楽の演者の歌い回しに注文を付ける発言があると、この発言は日本音楽の発想では(その曲の唯一の演奏者である)演者を否定する発言として受け止められる。逆に、日本音楽の発想で西洋音楽の特定の曲の特定の団体による営業成績に関する発言(媒体の売り上げ、決定版CDなど)は、西洋音楽の発想ではきわめて制限された視点に基づく発言として受け止められることになる。

音楽が地域の歴史を反映しつつ成長してきたことを考えると、語り合ってある結論に辿りつくには、語り合う焦点を明確化することが是非とも必要になる。そのためにはそれぞれの音楽を明確に書きしるすことが必要であろう。その一つの方法は、それぞれの音楽について、音楽を忠実に模擬する模型を作製することである。

 

現象を忠実に模写する模型を作って現実の現象を議論する方法は、自然科学の分野で古くから行われてきた。実際、例えばNewton力学で衛星の軌道を予測するときには、惑星と衛星の運動に関する数学模型(運動方程式)を作り、数学模型の挙動を解析し、その結果から衛星の軌道を予測する。自然科学の分野で使われる模型を科学的モデルと呼び、科学的モデルを作る活動を科学的モデリングと呼ぶ事がある。

自然科学の模型は観察の対象となる実体の属性と、複数の属性間の関係として捉えられる。そこで、自然科学の模型は観測データ(数値データ)から組み立てられていると考える事ができる。これに対して人文・社会科学分野に現れる対象には、音楽のようにそれ自身には形がなく、継承する人によって維持されるある基準にもとづく再現行為によって具体化されるものがある。この観察に従うなら、音楽を知るための模型は継承者が維持する基準を示すものとなり、模型を構成するデータは数値のみとは限らない。

例えば西洋音楽に倣って音楽を継承する人の役割を作曲家、演奏家、演出家(演奏会場の設営など)を区別すると、作曲家の創作物を書きとめる楽譜が重要なデータとなる。楽譜に書かれた内容を知るための模型を電子楽譜と考えると、電子楽譜の構造は電子文書記述言語(例えば[MusicXML])に類似した(五線譜については楽譜記述言語が作られているが、民族音楽の分野に現れる楽譜には楽譜記述言語が作られていないものもある。)構造を取るはずである。

人文・社会科学の分野でも科学的モデリングが試みられているが、仮想的なジオラマ[**京都**]、伝統邦楽の再現[**阪大**]など、個別な事物の仮想的な再現が主となり、自然科学における科学的モデルのように研究の基礎的位置を得るまでには定着していないものと思われる。その中では、TEI(Text Encoding Initiative)、e-Buddhismなどテキストデータベース制作活動に関連して、文献資料の電子化活動には興味がもたれる。本研究の一つの目標は、自然科学におけると同様な、基礎的な位置を占める事が出来る科学的モデルを確立し、情報科学の新しい適用分野を明らかにすることにある。適用の対象としては、テキストデータ、音響データなど、多様なデータが現れる音楽史学・民族音楽学[Prentice-Hall]の分野を選んだ。この目標を探索する過程で、次の三つの中間的な形態を検討した。

第一形態:混沌状態 (AD HOC status)

兼常清佐日本民謡研究」という報告書があって、研究活動は昭和26年に終わっているのだが、声の波形データから数値計算で高さを導く方法に則って一貫してデータが作られている点が非常に興味深い。譬えて言えばデジタル信号処理に基づく民謡研究が有効であることを、電子計算機が現れる以前に、実証したものと言える。

情報科学の知見を音楽学に適用する方法論の最初の案は、必要性が認められた機能を手当たり次第にソフトウェア化するというものだった。機能としては例えば、声のパラメータ表現の推定から始めて、声のパラメータ値を解析して音楽音声としての特性を推定し、音楽の特性に適合する記譜法を創作し、楽譜を編集・印刷し、楽譜を仮想的に演奏して音を再現する、などが想定できる。

これによって兼常清佐遺作集に報告された資料を電子的に再構成し、決して完成されたとは言えない兼常の研究を再起動するきっかけとする。

次に示すように、この方法論は研究計画という意味では甚だ計画性がなく、長期にわたる研究遂行には次の問題を起こす。

第二形態:情報民族音楽学

無計画にソフトウェアを作成し続けると、一つのソフトウェアを長期間維持するためには作成したソフトウェアの運用に係わる次の作業が派生する。

1) 使っている計算機システムの変更に伴う問題点の解決:次の変更が起こり得る。

  1. ハードウェアの変更
  2. ハードウェアシステムで稼働している基本ソフトウェア(OS)の変更
  3. ソフトウェアが引用しているアプリケ-ション(データベースシステム)の変更
  4. など

2) 複数の異なるソフトウェアを相互接続して協調させる

3) 作成したソフトウェア、データを共通のツールとして利用するために流通させる

結果的には研究作業しているのか、ソフトウェアの運用のための維持作業をしているのか、判らない事にもなりえる。

そこで、ある研究分野の全体像を見て、現れるソフトウェア・データを予め列挙しておこうか、ということを検討した。ソフトウェア・データの構造の骨格(要求仕様)を予め固定しておけば、同じカテゴリのソフトウェア・データが極端に違う構造を取る危険をある程度は回避できるのではないか。これはある意味で、情報技術の標準化と言える。但しここで言う標準化は、情報技術製品の標準化でなく、設計の標準化となる。

この定式化には、情報技術側で想定する標準化を誰が実行できるかという問題が起こる。

第三形態:Algorithmic modeling

複合的な研究課題を遂行する上では、方法論の選択が課題となる。情報民族音楽学は、情報科学民族音楽学という二つの研究領域に跨って導入される。方法論は、新規に考案するか、関連する研究分野のそれに順子するか、という選択肢がある。関連する研究分野は、情報科学民族音楽学とがある。民族音楽学は、C. Seegerによれば、音楽学言語学民族学の三つの研究領域が交差する領域にある。さらに音楽学について、西欧様式以外の様式の音楽を想定するならそれを継承する活動に注目することになる。伝統邦楽の場合、雅楽、声明、琵琶楽、能楽、三味線音楽、歌舞伎などのジャンルがあり、ジャンル毎に継承者が決まっていて、音楽の理論も継承者毎に決まっている。結果として伝統邦楽には、音楽の継承者を横断的に見た「日本音楽」という概念は形成されていない[日本音楽との出合い]。

以上の考察から、情報民族音楽学の方法論は情報科学の領域で確立することとした。情報科学の一つの特徴は実世界の事物を模擬することにある。アルゴリズム(algorithm)は本来人間の計算能力を模擬する数学的模型であり、アプリケーションソフトウェアは実世界の業務を模擬する能力をもつアルゴリズム(ソフトウェア製品として流通する)を言う。そこで、対象とする音楽の、考察対象とする性質を忠実に模擬するソフトウェアを音楽の模型と呼び、物理学(一般に自然科学)で物理模型(一般には科学的模型)をとおして自然を理解するように、情報民族音楽学の活動を、音楽の模型をとおして音楽の理解を進める活動として定義することとした。この定義によれば、情報民族音楽学の方法論は科学的モデリングであるが、音楽という対象は物理的な実在というよりはそれを継承する人が継承に際して維持している基準(この基準という言葉は、品質の良い製品を製造するために作業者が維持している基準に近い意味があり、具体的な現れとしては工業標準を構成する規定が参考になると考えられる。)に近いものがある。

ここでいう基準を理解するための模型は、物理学における物理模型と数式モデルのように均質な構成法をとるものよりは、音楽の継承者の活動に関する模型、音楽に関する模型と音楽の継承者の活動に音楽がどのように対応するかを示す文書を組み合わせたものになると予想される。例えば西欧様式の音楽では、音楽の継承者として作曲家と演奏家があり、作曲家と演奏家との係わりを示す文書として作品の構成を示す楽譜が存在する。楽譜の模型には、印刷面のレイアウトを示す模型、作曲家が曲を規定するために指定した音の基準を示す模型、演奏家が演奏の計画を策定するために指定した音の基準を示す模型(演奏家の解釈を示す模型)がある。楽譜の模型は一意なものとはならず、目的に応じて最適なものを作成することになる。情報技術的には、数式モデルの範囲を越えて複合文書の構成技術に近いものが必要となることが予想される。

 

 

民族音楽学における科学的モデリング(Algorithmic modeling)は成立すれば、人文・社会科学における科学的モデリングの一例を与える。ソフトウェアが現実世界の事物の模型を与える事を論拠にしている関係から、ここで言うアルゴリズミック・モデリングはソフトウェア制作のためのモデリング技法(ソフトウェアモデリング[小林・木村])に近いものになるが、次の違いがある。第一に、ソフトウェアは時々刻々実世界の事物を模擬することから、ソフトウェアモデリングでは結果の振る舞いだけが問題になり、実世界の何を模擬するかを明記する必要はない。第二に、ソフトウェアは製品であり、製造コストの軽減が主要な課題となる。他方アルゴリズミック・モデリングでは、実世界の事物の記録を残すことが目的となる。このことから、忠実な模擬である事を示す文書とアルゴリズムを記述する文書とを必ず対で残すことが必要になり、確立した記録は不要として破棄されるまでの期間(それが数世紀に渡るものであっても)維持される必要がある。

 

このようなモデルの概念を導入し、運用することは、情報科学の分野においても、新しい研究課題を定義することになる。

Algorithmic Modeling

Algorithmic Modelingという言葉は、科学的モデリングという用語からの類推で、Algorithmを使い科学的モデルを作成すること、程の意味をもつ。要は、自然科学なら数式を使ってモデルを作るが、自然科学以外の人文・社会科学までを含んだ意味での科学分野では科学的モデリングが数式の範囲には収まらないだろう、という観察に基づいて、数式を様々なデータ・タイプに対応できる「アルゴリズム」という言葉に置き換えてみた、という話。

ところでソフトウェアモデリングという言葉は既に世の中にあり*1、「ソフトウェア制作のためのモデリング」という意味で使われている。ソフトウェアは実社会のモデルであることを考えれば、わざわざ新しい言葉を作らなくとも 「ソフトウェアによるモデリング」という意味でソフトウェアモデリングと言えばよいだけの話のように見える。それはそうなのだけれど、次のような紛らわしい事が起こる。

科学的モデリングに準じる意味でソフトウェアモデリングというと、焦点はモデルにあてられる。他方、ソフトウェア制作のためのモデリングを考えるなら、焦点は、そのモデルを使って制作されるソフトウェア側にあてられる。前者の場合利用者として想定されるのはモデルの利用者であり、後者の場合には想定される利用者は制作されるソフトウェアの利用者である。実際に動くソフトウェアが利用者にとって良いものになるには、対象の性質に加えて、ソフトウェアが走る実行環境の性質を取りこんでおく必要がある。他方、モデルが利用者にとって良いものであるためには、実行環境がどうあってもモデルが実行環境に適合して忠実なものであり続けることが必要になる。

と言う訳で、評価基準が違ってくる。

そう言う訳で、あえて言葉を変えてみたという次第。でも結果の見え方は、伝統譜の電子化であったり、伝統音階(旋法)の再現であったりする。

*1:例えば、片岡雅憲著、ソフトウェアモデリング、日科技連ISBN:4817160160

信楽さん第三形態

情報処理と人文科学との係わりについて信楽さんがこれまでに作っていたメモの構成は、大きく分けて次の三つの形態があった。

第一形態:混沌状態^^;

兼常清佐日本民謡研究」という報告書があって、研究活動は昭和26年に終わっているのだが、声の波形データから数値計算で高さを導く方法に則って一貫してデータが作られている点が非常に興味深い。譬えて言えばデジタル信号処理に基づく民謡研究が有効であることを、電子計算機が現れる以前に、実証したもの。

最初は、声の推定から始めて、声の特性の推定、楽譜の編集と印刷、楽譜からの音の再現、他を手当たり次第に^^;ソフトウェア化すると、決して完成されたとは言えない兼常の研究を再起動するきっかけくらいにはなるのではないか。

という、研究計画という意味では甚だ行きあたりばったりな案。

第二形態:情報民族音楽学

行きあたりばったりにソフトウェアを作成し続けると何が起こるかというと、一つのソフトウェアを長期間維持するための作業*1、異なるソフトウェアを相互接続するための手続き、ソフトウェア・データを流通に乗せる*2ための、送り出し・受け入れ処理が発生する。しまいには、研究作業しているのか、維持作業をしているのか、判らない事に(多分^^;)なる。

そこで、ある研究分野の全体像を見て、現れるソフトウェア・データを予め列挙しておこうか、ということを考えてみた。ソフトウェア・データの構造の骨格(要求仕様)を予め固定しておけば、同じカテゴリのソフトウェア・データが極端に違う構造を取る危険をある程度は回避できるのではないか*3

第三形態:Algorithmic modeling

ある研究分野を固定した時に、情報分野からその研究分野に発言できるか*4という問題が起こる。伝統邦楽では、特定のジャンルには特定の継承者が決まっている。従って、「伝統邦楽における声の特徴」という簡単な一言が、複数の継承者を横断して特徴を知るという内容をもつことから、実効はとても複雑な様相を呈することになる*5。このような活動を行おうとすれば、純粋に情報科学の立場から音楽について発言し、様々な音楽の分野で継承されている具体的な内容については継承者の判断に任せることにするのがよいのではないか。

と言う訳で、モデリングという領域に注目し、これを基盤として、その上に情報民族音楽学を組み立てたらどうなるか、という問題としてみた。科学的モデリングという用語があり、物理学など自然科学は自然をモデルと同一視して展開される。これ位に、モデルが基礎的な位置にある。「科学的」モデリングという以上、人文・社会科学にも科学的モデリングが成立するはずであり、作り方を工夫してその分野の基礎として使われるモデルが出来たら、それはそれで面白そう。

そんな目論みから、民族音楽学における科学的モデリング(特にここではAlgorithmic modelingと言うことにする)を検討する、ということにして、これが第三形態。

形態を決めたら、これからは第一形態の実体みたいな事ができるのではないかと思ったりもしている。

*1:システムが変わる、OSが変わる、使っているアプリが変わる、・・・

*2:商品化という意味ではなく、共通のツールとして利用するために。

*3:ある意味で、情報技術の標準化-但し、製品でなく、設計の。

*4:情報技術の土台とその研究分野の土台の双方について理解し、双方が、発言する際の土台を認定出来ているか。

*5:ある継承者が認知する音楽の精度が継承する音楽とその外にある音楽との間で全然合っていない場合、関係者を集めて議論することがとても難しい。参考「日本音楽の基礎概念」では、著者の領域である日本音楽とその外にある西洋音楽との認知の精度が全然違う。