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狸系の里 シーズン2

はじめの一歩、二歩、散歩・・

音楽文化の相互交流という夢について

信楽先生は文系でも理系でもない、双方に足を掛けた中途半端な位置*1にいる。こういう位置にいて音楽を知りたいと言っても、音楽について新しい事実を見つける能力についても、情報工学的な仕組みを作りだす能力についても、準備不足の感は否めない。では、何を考えているのか、と聞かれたときにどう答えようと思っているのか、というとこんな答えを考えている。

“-様々な音楽についてそれをありのままの形で書記す方法は何か-この問題設定は、大きく言えば、音楽文化の相互交流*2を目的とする情報科学/情報技術のあり方を知る事に繋がる。”

 

音楽は音による表現であり、いっとき聞くだけならば録音・再生技術があればよい。定着するにはもう少し詳しく知ることが必要になる。その時には、対象を、偏りなくありのままの形で、聞く必要がある。簡単なようだけれど、事はそれほど単純ではない。それは、聞き手の常識が、その人にとっての音楽について構成されていて、しかもその常識があまりに自然なので、その人にとっての常識が世界の常識であると信じて疑わない・・ことが往々にしてあるからである。

 

一例として、音楽を紹介するときに、「作曲家Aの作品B」と言うか、「演奏家Aの曲目B」と言うかを考える。テレビやラジオの歌番組では「演奏家Aの曲目B」と言うことはあっても「作曲家Aの作品B」と言うことはない。例えば「美空ひばりの港町13番地」は、「演奏家美空ひばりの、曲目・港町13番地」となる。国内でも西欧系の音楽では、逆に、「作曲家Aの作品B」と言うことはあっても「演奏家Aの曲目B」という言い方はしない。例えば「レオポルドモーツアルトの玩具の交響曲*3」は、「作曲家・レオポルドモーツアルトの、作品・玩具の交響曲」となる。この辺りは、音楽として継承される対象の違いを反映した、それぞれの領域の常識な訳なのだが、それぞれの領域で確立した常識であるだけに別の領域の常識は理解しにくいし、別の領域に向かって「それはおかしい」と言った所で意図したとおりに言葉を受取ってもらえる訳でもない・・

 

ありのままに書く、と言う時には、この、常識の部分にまで立ち入って書くこととする。それでも、前提とする常識なしに何かを書ききるのはとても難しいことになりそうなので*4、どこかで、これを出発点に使い、この出発点については問わない、という基点を使わなければならないのだろう。

 

この基点をどうするか、という問題を含めて、ありのままに書くという問題は、見かけほど簡単ではない。でも、基点の選び方についての努力をして、なんだかよく判らない状態に置かれたもやもやとした疑問が解決できると、日本の音楽をどこかの地域に伝え、逆にどこかの地域の音楽を日本に伝えて、伝えた内容が歪みなく継承され、世代を越えて定着する基礎を作ることにも繋がるのではないか、という夢を考えている。

 

当面、信楽先生が考えているのは、声楽という領域で、日本の上代の声楽とフィンランドの伝統的な歌とを並べてみたい(系統的関係を考え始めると大変なので、標語的に言うと、筝・和琴とカンテレを並べる、位に設定する)。

*1:狸系

*2:一方通行でなく、相互交流。

*3:W.A.モーツアルトの曲と言われた時期があった。最近の結果はよく知らないが、W.A.の作品ではないらしい。

*4:集合論の公理によれば全ての集合は空集合から構成的に到達できるそうなのだが、空集合から目的の集合に達するまでに必要となるステップは、もちろん有限で留まるとは限らず、いくつもの無限大の壁を乗り越えなければならないかもしれない。数学的に言えば、証明には超限帰納法に拠らなければならないこともある、ということ。

音律計測の具体的なイメージ

伝統邦楽の声楽譜というと例えば次がある。

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この譜は催馬楽歌ころもがえの出だしの部分で、「催馬楽朗詠墨譜集(薗広進監修、催馬楽・朗詠墨譜集、日本雅楽会、昭和54年8月)」より引用している。

 

慣れないと取り付く島もないので、日本音楽の入門的な解説書には、五線譜に採譜した例が載っていることがある。

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この譜は、日本音楽の歴史と観賞(星旭著、音楽の友社、昭和51年7月)より引用している。

 

墨譜の折れ線と五線譜とを歌詞の一字単位に比較すると次の表が出来る。ここで折れ線の線分を「博士」と呼んでいるが、これは仏教声楽の声明の用語を借りている。

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注記 五線譜パターンの項目は、上記参考の五線譜を調子記号に従ってニ調の移動ド唱法で書いている。(ソ)、(ミ)は前打音。

 

折れ線を構成する線分が一つの音の単位を表すとすると、この音の単位は小さなメロディを構成していることが見て取れる。五線譜で記譜されているが、各音符を実際にはどの音で演唱すべきか、考えてみるとよく判らなくなる。この辺りは伝統音楽の基準に則るしかないのだが、この基準が判ったとして、それをどう書きしるすかについては工夫が要る所だろう。

 

上代歌謡を五線譜に採譜する活動はずいぶん前に行われていて、催馬楽朗詠譜については既に出版物、芝祐泰編著、五線譜による雅楽総譜、巻一 歌曲編、カワイ出版ONLINE[ISBN9784760934010]がある。これと上記墨譜集とを比較すれば、伝統譜と採譜結果との比較をフレーズでなく曲単位で行って、比較を完了できるはずである。

 

で、ここまで辿りつくと、次は、各音の本当の高さは何かという問題が出てくる。民謡の採譜と違って催馬楽譜には音の高さが書いてあり、この高さには基準が決まっている。上記「五線譜による雅楽総譜」には、雅楽歌曲楽式便覧というセクションがあり、音の取り方が説明してある。

音を取る方法は、伝統的な用語で順八逆六と呼ばれる手順に準じるものであり、二つの音の高さを両端を含み間に挟まる半音の数で指定している。八というのは、二つの音を両端としてこの間に両端を含めて八個の音を含む音の組み合わせ、というとややこしいが、具体的には五度(ド、♯ド、レ、♯レ、ミ、ファ、♯ファ、ソ)を指す。

ここでドレミファソと♯とを使うと平均律で考えていると誤解されるが、そうとは限らない*1所が紛らわしい。

 

もう一つ紛らわしいのは、催馬楽歌は原曲なのか編曲なのか、という点であり、楽器で演奏するならともかく声で演奏する曲では音程の取り方が自由な分、書いてある音の高さは雅楽風に演奏する際の目安であり、原曲とはことなる・・・という可能性が出てくる。

 

もちろん、証拠がなければ全てが想像に留まる。この点が形が残らない音の難しさなのだが、だからこそ、測定値を積み重ねて何か言える事が見つかれば面白い。

 

 

*1:ピタゴラス音階の音律は平均律と異なるように

音律の測定に係わる三つのステップ

音律を測るという話は、最終的には、良い記譜法を求める話に繋がる。文字や図記号と同様、楽譜もそれ自身は図形(「インクのしみ」という言い方をされる事がある)なので、この図形を音楽と同一視するためには図形とそこから読みとられる内容との対応関係の決め方が大切になる。楽譜の場合、図形とその内容との対応関係は常識として言及されない事があるので、しかし楽譜の内容を知るためには対応関係を知る事を避けては通れないので、実際に行われる音の属性を測ってみることが望ましい。

 

音の属性を測るステップは、楽譜に書かれた内容と演奏された音とを比較して、楽譜を構成している記号がどのような音として具体化されているかを見る作業により構成する。使う資料の性質により、次の三段階が考えられる。

  1. 既存の資料に基づく確認作業
  2. 印刷内容を表示するための電子楽譜と、この電子楽譜に対応づける内容との構成
  3. 書かれた内容と演奏される音とが自然に対応する記譜法を創作する

 

上記A、B、Cは次の内容をもたせる。

  1. 既存の資料に基づく確認作業

専門書の範疇にあるとも言えるが、街中の普通の書店で催馬楽朗詠譜が市販されていることがある。また、演奏された催馬楽朗詠歌を採譜し、五線譜総譜の形式でまとめた資料が市販されている。捜せば、声明譜についても、伝統譜の形式と、採譜して五線譜総譜の形式にまとめたものとが市販されているようである。

このような市販の資料を用意して、ここから、伝統譜の音楽記号と五線譜への採譜結果とを対応づける表を作る。こうすると、伝統譜の記号とその記号が表す音との対応関係が見えてくるので、同じ内容の記号毎にグループ化ができると期待される。

 

  1. 印刷内容を表示するための電子楽譜と、この電子楽譜に対応づける内容との構成

伝統譜を電子文書として再現する技術を創作する。この電子文書は追って、演奏されたときの音のパターンを対応づけるための土台として使う。また、様々な時代の伝統邦楽を上演した際の記録がCDの形式で市販されていることがあるので、伝統譜の演目が演奏されている記録を入手し、ここに記録されている音の特性を計測する。

音の特性を計測するには事前に次の準備を行う。

  1. a) 文献に基づき、音の高さの理論値を求める。

 音の高さの基準から作られる音の理路的な高さを計算して表を作る。

  1. b) 記録されている音の物理的な特性を計測する。
  2. c) その音楽で一つの音像を作っている音の属性の組に配慮し、聞こえ方のモデルを作る

 

  1. 書かれた内容と演奏される音とが自然に対応する記譜法を創作する

書き方を工夫しながら、聞こえ方のモデルを読みとりやすい記譜法を創作する。

 

今の所Aに居る。聞こえ方のモデルまで辿りつけるかどうかは全くの未知数・・;

音律を測定してみたい

音律という言葉は、ここでは、楽譜に書かれた音の実際の高さという意味で使っています。日本の音楽では、楽譜上は宮商角徴羽という五つの音が使われているように書かれています。ただ、楽譜は目安という位置付けにあるので、実際の演奏で聞く事が出来る音は違っているかもしれません。例えば、ビブラートのような修飾がついていたら、修飾する音はどの範囲から取るか。実際、上代歌謡を五線譜採譜した印刷物を見たことがあるのですが、その解説によれば使われている音は、四つの補助的な音と合わせて九つとしていました。

 

ところで、五線採譜があればそれ以上の何がいるのか、と思いたいところだけれど、次の問題があります。音の高さは五線譜から読みとれる高さでいいのか?五線譜には五線譜の約束事があり、一点ラの音を430Hzとして、各音符を(不等分)平均律で調律して、決まった高さの音が書いてある事になっています。この約束事に無条件に従ってよいか。言葉で物事を書きとめる以上は避けられない問題なのですが、対象と言葉とは整合しているのか?そこで、どうしても、書籍を読むには前提となる世界を了解しておかなければならない、ということになり、了解する手段としていろいろと計測してみたくなるわけですね。これは元物理屋さんの性。

 

伝統邦楽の音律は三分損益法で決まります。三分損益法は、基本となる音を、管あるいは絃で決めます(以下は管として説明)。この管から三分の一を取り去ると、振動数が1.5倍(3/2倍)の音が鳴ります。三分の一を加えると、振動数が0.75倍(3/4倍)の音が鳴ります。そこで、基準の音の管を選び、ここから三分の一を取り去った管を作り、その結果に三分の一を追加した長さの管を作り、・・・という操作を繰り返して基準の音を出す管を作ってゆきます。そうすると、基準の音をドとすると、順次、ソ、レ、ラ、ミ、・・・、の音が作られる・・

はずなのですが、この操作、12回を越えて何回繰り返しても、数オクターブ上のドには絶対に辿りつけません。理由は、数オクターブ上のドの音の振動数は元の音の振動数νと2のオクターブ数乗(ともかく整数)とを掛けた数字になりますが、管の振動数は3/2をいくつかと3/4をいくつかを掛けた数になります。結局奇数/偶数を掛ける事になるので、この数が整数になる事はない。

結局、上に書いたソ、レ、ラ、ミ、・・・の音は、三分損益法によるソ、レ、ラ、ミ、・・・であり、五線譜で書きとめた時の前提となるソ、レ、ラ、ミ、・・・と(ドの音を合わせた時ですら)一致する保証はない、ということになります。言葉で説明するときに、前提に関する理解が違っていると、全体に関する理解が違ってしまう一例ではあります。

 

ところで三分損益法はピタゴラスの音階と呼ばれている音階と同じものになり、「音階」という言葉がついていると現在の音階の先祖と思いたくなるのは山々なのですが、現在の音階と直接繋がるものではありません。現在の音階に繋がるのは、アリストクセノスによる二つの四弦琴を使った音階で、これが教会旋法につながり、不等分平均律(半音が二種類ある)に繋がり、更に現在の等分平均律に繋がるという音階の歴史があります。現在の五線記譜法は等分平均律の一つ前の、不等分平均律とよく調和する記譜法だそうです。そうなると、日本の音楽を五線採譜した結果は、日本の音楽の約束に従って読まないと本来の内容を読みとれないことになるのですが、五線採譜をした資料には調律法という形で音の高さが書かれています。ただこれは、実際の楽器をもち、調律法を知った人でないと取り付く島がない。

 

という訳で測定してみたくなるのですが・・

 

日本の音楽は長期にわたり専門家集団により継承されてきたので、素人が安直な計測をして、専門家集団の了解なしに計測結果の解釈を安易に公開できるものではないことは確かです。できる範囲は可能性を示す所までであり、本番の計測は継承してきた専門家集団が行うのが筋なのだろうなとは思いつつ。

情報民族音楽学の三分野

Seegerによれば民族音楽学は、音楽学、民族学言語学との共通部分(※)にあるという。

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情報民族音楽学は、音楽に関する資料を、印刷面及び書かれている内容の両面から検討し、読みやすい形に整理し蓄積する。この蓄積された資料を使って音楽の情報モデルを構築する活動を行う。Seegerの三分野に倣って三分野を書くと、次の図が書ける。

情報民族音楽学は☆の位置におく。ここで書肆学と書いた部分では、対象とする音楽に関する文献資料を扱う。情報科学の方法によって、資料の形式と内容を扱う。

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追加(20170212)

イメージ的には、音楽学で扱う対象について、個々の音楽に固有の内容を文献資料によって確認し(書肆学)、音楽の形式*1を個々の音楽から独立した記法で書くための方法は情報科学から提供を仰ぐ、というつもり。兼常清佐日本民謡研究では音楽を記述する手段として音声波形を考えていたが、上の図では情報科学の中に入ることになる。

 

*1:楽譜の印刷面の形、楽譜を構成する記号をUnifyした時の形、音階(旋法)を構成する音の形、メロディを構成する要素の形、など

アルゴリズムとソフトウェア

音楽をジャンルから独立した表現法-例えば波形なり、音の特徴パラメータなり-で表現してこれを基礎資料とする。こうすると、この基礎資料を使おうとする人は誰でも計算機プログラム(以下プログラム)を書かねばならないことになり、閾が高い。この事態をどう考えるか。

 

情報技術にはよく似た言葉がたくさん出てきて最初は面食らう。例えばプログラムには、アルゴリズム、ソフトウェアという言葉がある。プログラムは具体的なものを指すが、アルゴリズムとソフトウェアとはどこで区別するか。

筆者は、アルゴリズムはそれ自身で完結した定義をもつ計算手順を指し、他方ソフトウェアは実世界の問題解決のために創作された計算手順を指すと考えている。この定義から、ソフトウェアを制作するにはまず、実世界の問題を定式化するところから始まる。

よく言われる分類基準に拠れば、ソフトウェア制作手順は、要件定義、外部設計、内部設計、コーディングからなる。ここで要件定義は考えている問題を書きだす手順、外部設計は書きだされた問題を部分問題に分割し、各部分問題間で交換される情報を明確にする手順、内部設計は各部分問題を解決するプログラムコードの大きな纏まりを明確にする手順、コーディングは内部設計で与えられた纏まりに計算のためのコードを与える手順を言う。この制作手順に先行して実世界で行われている業務があり、この制作手順に続けて試験と運用が行われる。実世界の業務は更新されることがあるので、ある時点でソフトウェアの前提となる業務の定義からは乖離が起こる。その場合には、要件定義に始まる手順を再試行する。*1この辺りを下図に示す。

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言わば、二段目の四つの箱がアルゴリズムの設計に当たり、その上下でアルゴリズムを実世界と対応づける。そこで次のように考えると、前回の帰納と演繹の図式との関連づけが見える。

 

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ここで法則の箱の中の前半、要件定義と外部設計の組み合わせと、後半、内部設計とコーディング、試験の組み合わせとを比較すると、後半では、コードを実行する計算機環境に関する情報が追加される。

 

こうしてみると、ソフトウェア工学で言う、要求定義、外部設計、内部設計、コーディング及び試験というステップは、アルゴリズムの具体化に焦点を当てたソフトウェア制作工程の考え方ということが出来るだろう。

 

科学的研究の場では、有限的に計算可能な方法で法則が書けるとは限らないし、帰納/演繹のステップで機能・性能が既知のソフトウェアを使うこともある。また、抽出された要件の全てをコーディングに利用するとも限らない。

それどころか、帰納的な方法では仮説が一つの成果となることから、同じ対象(例えば日本音楽の音階)について複数個の仮説が出されることがある。ソフトウェアはそれぞれの仮説からある目的に沿って作られる事になる。

 

このように、ソフトウェア制作手順を要求抽出から始めて運用までをひとまとまりのものとして考えると、案外それは科学的(自然科学とは限らない)研究プロセスと似たものになっているようにみえる。

一つだけ留意すべき点があるとすれば、アルゴリズムを利用する条件設定のために、業務をある範囲で切り出す必要が出ることがある。この切り出しは、業務を定義する(define-境界線を設定する)ためには是非必要になることだが、要件を書きだすために使う用語の意味に次の影響を与える。その用語が境界線の内外を跨ぐ場合、アルゴリズムには境界線の内がわの意味だけが反映する。例えば「良い環境」のような抽象的な用語に特定の指数の組み合わせを対応づけた場合、「良い環境」とはその指数の組み合わせのことである、という意味づけになり、何故それでよいかはアルゴリズムの外側に置かれることになる。

研究活動の一部としてソフトウェアが作られる場合には、研究の用語で、誤解が起こらないように、明確に要件を書くことで、境界線を跨ぐ用語が起こす問題は避けられると思いたいのだが・・*2

 

それはともかくとして、こういう考えで、ソフトウェア制作手順を組み込んだ研究活動というものはどのようなものになるのだろうか・・

*1:それほど深刻でなければ要件定義まで戻ることはないかもしれない。

*2:現実には伝統邦楽と西洋音楽との間で、他の音楽に関する用語を引用すると、往々にして用語の意味が混乱するのだが。

人文科学のための情報科学

前回から今日までの間に引っ越ししていた。ひと月なんてあっという間に経つ・・

 

科学という言葉は自然科学の同義語みたいに感じるのだが、人文科学という言葉もあるから自然科学と同義語という訳ではないだろう。何かについて知ることには違いないにしても、知るために使う方法に何かの特徴があるのだろうか。物理学を例にとると、知る対象は自然現象であり、知る方法は次の図に拠る。

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ここで上の図の意味する所は:

自然現象を観測して背後にある法則を帰納し、帰納された法則に基づいて現象を再現して法則の自然現象への適合性を確認する。この帰納と演繹のサイクルをとおして法則を洗練する。

 

自然科学の場合、対象は全ての人が住む宇宙であり、この対象を全ての人が同じ手段で観測する。単位と呼ばれる客観的な定義をもつ量を、観測精度を校正できる観測装置をつかって観測し、対象のモデルは単位付きの数値を使って表す。さらに、宇宙の寿命はとても長く100億年とも言われている位だから、せいぜい数万年程度しか経っていない人の経験する時間の流れの中では、宇宙が従う法則の変化が観測されることはない。

以上の特質から、自然科学では、全世界で有効な法則があると考えても問題になることはない。問題が起こる場合は、観測手段が格段に発展して、それまでの観測手段では見えなかった世界が見えてくるときに明確になる。例えば、古典力学と古典電磁気学とから与えられる水素原子は1秒ももたず消滅する。

これに対して音楽のように、地域毎・時代毎にそれぞれの環境に従って独自の発展をしてきた対象は、いくら音楽に国境なしと言っても、音という現象が同じ法則(音楽理論)に従う理由は全くない。同じ法則に従うことが発見されようものなら大発見ということになる。*1日本国内ではいくつもの流派がそれぞれの音楽を伝えているが、これらが同じ法則に従うことは期待できない。特に、明示時代に西洋から移入された音楽とそれ以前の伝統邦楽では。

 

音楽を伝えるには言葉に拠るが、困った事に、言葉は柔軟すぎるので、次の図のような意味づけで運用することができてしまう。

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問題は言葉を使う人の側にあって、複数の文脈を切り替えて言葉を理解するには人に特有の負荷をかける。いちいち文脈を指定すれば、知らない文脈で話すことに警戒感を産むにしても、固有の文脈が違う人の間では会話が成立しない事になる*2

 

特定の文脈に属する言葉だけで音楽を記述することにすると、実に不自由な事が起こる。例えば日本音楽を記述するために、西洋音楽の文脈で自然な解釈ができるが日本音楽の文脈では規定内容が一致しない、五線譜が使えない。

 

おそらく他の文脈で使われる意味を引用したくなる事態は、無定義で使いたい常識語に理解を促すための説明を添える時に起こる。こういう場面では、特定の音楽のジャンルから独立な記録法で音楽を記録することが有効なのだろうと思うのだが、兼常清佐が言う「音声波形による音楽の記述」は、情報技術と組み合わせることで、有効な手段となるのではないか。

 

問題は、この音楽の記録法を使う人は誰でも、計算機のプログラミングができなければならない、ということだろう。その際、人文系の諸分野は、演繹より帰納が重要という特質が躓きのもとになるのではないか。

 

*1:文化的事象は多かれ少なかれ、地域と時代とが異なる環境で発展すれば独自性が育つはずであり、同じ法則に従うことはないのではないか。

*2:成立しているつもりで互いに勝手な解釈をしているだけ、ということになる。