狸系の里 シーズン2

はじめの一歩、二歩、散歩・・

3‐声の音楽を仮想的に再現することについて

西欧と比べて伝統邦楽は、楽器の音楽が盛んでなく、声の音楽が盛んであるように見える。声の音楽は、楽器がなくとも、楽譜がなくとも発達するものなので、実際にどんな音楽が行われていたかを知る根拠がなかなか見つからない。ただ、後の代の伝統邦楽を見ると、声の音楽が多岐にわたって発達しているので、声の音楽が発達する基礎があったことは認めてもいいだろう。もちろん上代歌謡のように、テキストだけが残っていて、歌詞であることまでは判る場合でも、楽譜がなければ歌としては聞けない。

さらに事態をややこしくするのは、文献に楽譜があって、口伝として楽譜の解釈が伝わっている場合でも、実演がその通り行われているとは限らない。これは別に不思議でもなんでもなく、西欧でも、楽譜は音を選ぶ規範を示し、演奏に際しては定石とすべき解釈があり、加えて、実際に演奏された音には演奏者個人の主張があるものなので、文献、口伝、実演の間で乖離があっても、乖離すること自体は問題ではない*1。ただ、ある音楽を維持する団体の規模が大きくなると、乖離が問題視され、整理が行われることがある。その際は、団体全体で行われている音楽を見直して、規範としての楽譜が作りなおされることもある*2

それはともかくとして・・

信楽さんが情報民族音楽学という名称のもとで一度はやってみたいと思っていることは、上代歌謡のような伝統声楽曲を対象にして、規範としての楽譜、口伝に配慮した楽譜、実際に行われている演奏に忠実な楽譜を作り分けて、仮想的な演奏でそれぞれの楽譜に忠実な音を創るという話。楽譜から歌うのはVocaloidがあるなら出来ない相談ではないと思っている。

もちろん、対象の性質上、音資料をそのつど作りなおすことは考えられず、既存の音資料と文献資料とから仮説を作って確認する作業の繰り返しになるはずであり、従って、標準的な音声分析合成に加えてこんな技術が要ってくる。

・ 音源定位と複合音解析→伴奏音が重なった音資料から目的の音を取り出す

・ 発声器官の物理模型 →声を作る素材(音声波形)を発声してもらえるか

さらに文献資料に当たるには当時の言葉を知らなければならない訳で、・・

ただ、こうした作業を通して伝統的な声楽の性格が判ってくれば、伝統的声楽を漠然とした意味でなく、具体的に捉まえられるのではないかと思う。Sprechgezang*3、及びSprechChor*4という言葉は、ドイツ語本来の意味では、それぞれ、語り歌い及び語る合唱*5となる。伝統邦楽の平家琵琶(あるいは三味線を伴奏にする義太夫節)、や声明は、概念的には、それぞれSprechgezang及びSprechChorに対応する声の表現に対応しているとも思える。結果、これらは演目としては日本独特でも、声による表現の様式としては案外海外でも受け入れられるのではないか*6。こういう仮説を検証できるのではないかという皮算用をしている。

*1:ピアノという楽器はクラビアという楽器から発達したものだけれど、音色は聞き分けられる程度に違う。ベートーヴェンの頃のピアノはクラビアに近い音色と今と比べて半音程度低い調律とが行われていた。現在残されている楽譜を当時の楽器で弾くか今の楽器で弾くかによって曲の表情が違ってくる。このような選択は演奏家の裁量で行う。

*2:仏教の声楽である声明には、古博士、仮譜、作博士などの記譜法が伝わっているが、これらの記譜法は、宗派で行われている声明を見直して規範を選ぶ議論のために導入された。

*3:シュプレヒゲザング。ピエロリュネールでシェーンベルクが導入した、語る特性を加味した歌い方。

*4:シュプレヒコール

*5:カタカナ語シュプレヒコールというと別の意味になるが。

*6:実際、声明が海外で公演されたことがあり、高く評価されたという。