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狸系の里 シーズン2

はじめの一歩、二歩、散歩・・

インドの音楽を箏で聞く

土曜朝11時にFM放送で「邦楽百選」という番組を放送している。番組カテゴリは「古典芸能を楽しもう」ということで、月の演題を見ると、一中節、義太夫、清本、長唄などが並んでいる。ただ今日は現代邦楽で、曲目の中にラヴィ・シャンカル作曲「パダサパ」という曲があった。ラヴィ・シャンカルといえばインドのシタール奏者として高名な方だから、シタールのための曲を筝で演奏するのだろうと想像して、どんなふうに聞こえるか興味がわいた。それで、聞いてみると、オリジナルな箏曲ですと言われても違和感がない。これはとても面白いと思った*1

ただ、邦楽とインドの音楽とは、思いのほか近いのかもしれない。仏教音楽の声明は本を辿ればインドまで遡ることができる。声明には、インド産(梵讃*2‐坊さんが梵讃を語る^^;)、中国産(漢讃)、日本産(和讃)が区別されるが、ともあれ、サンスクリット語で語る梵讃というものが伝えられ、これを含む声明が日本の音楽の一つの源流になっているらしいので、どこかで似たところが出てくるのかもしれない。もちろん、声明が日本の音楽の唯一の源流であるか、他にもいくつかの源流があったのか、などは、資料で確認できるまでは、断言はできないのだが。

こんなことを思いつつ、日本語の由来はなかなか論争が尽きない理由を考えると、こんな仮説を思いつく。日本語が形を整える時期と言えば、縄文~弥生~天平~あたりだろうか。このころの日本に様々な言葉の話し手がいたとする。これらの言葉が相互に交流し、話を伝えるための語彙、誰でも発声できる音、誰でも使える構文規則を徐々に整えて来たとすると、最後に定着した言葉は基となるどの言葉とも一部しか似ていないものになるだろう。一つの祖語から派生したという枠組みを適用すると、うまく説明できなくとも無理はない。

こういうことを確認するにはいくつもの国語で書かれた資料に当たることになる。困った事に主な資料は漢字で書かれていて、元の形がなかなか判りにくい。おそらくは、まず資料を収集し、集まった資料は有りのままの形で電子的に保存する*3あたりから始めることになるのだろう。

この、画像データの形で集積された資料を電子的に観察し、書き替え、内容を整理する作業を続けて、ある程度の実績が溜まってくると、日本語の起源や日本音楽の起源について、データに基づいて語れるようになるのではないか。個人的には、情報科学の新しい研究領域として期待しているのだが、具体化できるかどうかは全く定かではない。

*1:Wikipediaで確認した所、この放送を担当した宮下伸氏はラヴィ・シャンカルと共演したこともあったらしい。

*2:ぼんさん

*3:参考 JISZ6016、Z6017