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狸系の里 シーズン2

はじめの一歩、二歩、散歩・・

似ているからといって油断はできない

何かの拍子で英語にはフランス語系の単語がたくさんあることを聞きかじって、「英語からフランス語へ」などという本を見つけると、勇んで始めて基本動詞の所で挫折することになる。ノーマンコンクエスト以降英語にフランス語系の語彙がたくさん入った事は事実としても、もともと違う言葉である以上、習得には壁がある。当の英国人からして、こんなことがあるという(これも聞きかじり)。

ある湖の脇で、喉が渇いたイギリス人が湖の水を飲んで、それから立て看板に気が付いた。そこに書いてある文章は読めなかったがその中に“poisson”という単語があることに気づいて急に心配になった。「毒(“poison”)なのかもしれない。」

ドビュッシーにPoisson d’or(金魚)という曲があるように、フランス語でpoissonは魚で、立て看板は「魚が住める湖」という内容だったのだけれど、思っただけで心配になってしまったという話。

 

これ、漢字やカタカナ言葉を考えると他人事ではないような気もする。国内で済んでいるうちは何の問題もないとしても、だからと言って、日本語漢字やカタカナ言葉が何の注釈もなくそのまま国境を越えたらどうなるか*1

そこで試しに街中で、いろいろな漢字を眺めてみる。そうするとこんな例が見つかった。

マンホールの蓋に「合わせ弁」という意味の字が書いてある。たまたま(デザイン上)字を置く余白が一字分しかないからか、弁の字のムの所に合の字を重ねて、一字として書いてあった。この合わせ文字をどう考えるか?

これは字でなく記号であると受取ってもよい訳だけれど、多分に洒落の意味も込めて、日本語における漢字の読み方について次の規則を立ててみた。

規則1:助詞を補って日本語文として読める順に並んでいる漢字は助詞を補って読む。

規則2:日本語文として読むには字の配列を変えなければならない場合は、並んでいる字を全体として一つの字と見なして読む。*2

合わせ弁の合わせ字は規則2(この字の場合は語順は変えなくてもよいが)から「合弁」で一つの字と考えて、この字を思い出せる記号を新規に作りだしたものと見なす。

 

外国由来の文字を、日本語の意味で読み書きしていることを忘れて、外国由来の図形だからそのままの形で国境を越えても大丈夫などと油断していると、先方の読み方で読まれた場合には予想外の意味になるかもしれない。*3こういう油断を避けるには、記号は意味の違いに応じて適当に似て、適当に違うのがよさそう。とはいえ、勝手にできるものでもない。

ともあれ、マスコミやネットの近くで生活する人、特に、長く並んだ漢字、あるいはカタカナ言葉をよく使う立場の人は、日本語としての記号を日本語の外で読んだ時に、どのような意味になるかを気にする方がよさそうではある。

*1:カタカナ言葉はその由来となった言語の元の綴りでかつ日本語の内容で国境を越えたら。

*2:例:開店休業⇔店ヲ開キ、業ヲ休ム。語順が逆になる。

*3:例 床運動 日本語なら「床デ運動ス」か。漢語なら「床ヲ運ビ動カス」か。床に付く助詞が違うので、日本語では「ユカ」、漢語では「寝床」の意味になり、それぞれで文の解釈を間違えることはない。でも意味にずれが起こっている。