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狸系の里 シーズン2

はじめの一歩、二歩、散歩・・

理系、文系と狸系

一寸前から情報民族音楽学ノートという文章を纏めていたが、今朝がた一段落した。もともと、情報学か、音楽学か、どちらかの領域に情報民族音楽学という区画を作って境界線を引く*1ことが目的だったので、文書が、経験の裏打ちのない言葉であふれる結果となる。具体化はすべてこれからという代物だけれど、線引きはこんなものだろうという所まで来たので、ノートとしては一段落する。

振り返ってみると、理系的発想と文系的発想との違い、これらと情報系との発想の違いを見たような気がして、それはそれで面白かった。

信楽さんの地元、物理学の活動は次のA、B二部から出来ている。

(A) 観測結果から法則を知る

(B) 法則だけによって現象を再現して法則を確認する

観測結果の蓄積は分厚く出来ているので、法則にミスがあればどこかでチェックがかかり、法則が訂正されている。法則のミスが見つからないケースと言うと、観測装置の性能が飛躍的に上がった時に見つかる。

その他の理系分野には経験が無いので想像するしかないのだけれど、焦点の当たり具合が違うにしても、上のA、B二部構成にはなっている。

ここで理系、文系という言葉から連想する活動を比べると・・

・理系という言葉からは、Bに焦点を当てた活動を連想する。

・文系という言葉からは、Aに焦点を当てた活動を連想する。

情報技術がサポートするシーンを考えると・・

・理系という言葉からは、ある基準をシステムに実装するサポートを連想する。

・文系という言葉からは、図書館などの膨大な収集資料を可能な限り広く調査するサポートを連想する。

情報技術的にはどちらも、要求に従って実装した機能を提供することには違いないが、Aに焦点を当てた活動は基本的に終わらないので(帰納推論同様)、実装した技術の有効性を維持する方法を予めよく考えておく必要がある。研究者一人の人生を共に過ごせる位の期間は必要だろう。

 

情報技術には理系であれ、文系であれ、適用の場所があるつもりでこの文章を書いているが、それでは情報技術のものの見方は・・と問うてみる。こんな答え方がありそう。

  1. a) 情報技術は対象を形と中身とに分けて捉える。
  2. b) 対象の性質をよく捉えた形を提供し、この形を中身の入れ物にする。
  3. c) 入れ物に中身を入れる時には入れ物に名前を付けて、入れ物を中身の如く*2に扱う。

身も蓋もない言い方をすると、記号には中身など何もない。単なる識別子だから数字で区別しようが文字で区別しようが差し支えない。ただ、中身がこぼれたり変形しては困る。五線譜など単なる記号の体系ではあるが、中に入る音の特性について詳細な決まりごとがある。この決まりごとがあるから、その分中身については書かずに済む。これは便利な反面、決まりごとからずれた音は中身として入れにくい。

上でb)には簡単に書いたが、対象の性質をよく捉えた形を提供し、という一節、対象と形とを別な存在として扱って、両者の間に自然な対応が取れるように形を設計する、という意味になる。こう捉えるとなかなか曲者で、こういう曲者に妥協なしで対面するにはそれなりの目が要る。狸の目である必要はないにしても・・

*1:定義する、ともいう。

*2:化かす^^;