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狸系の里 シーズン2

はじめの一歩、二歩、散歩・・

FM-現代の音楽(武満徹作曲賞受賞曲1)

NHK-FMで8時10分から現代の音楽という番組を放送している。最近は20世紀の音楽の流れを追って、ブーレ、シュトックハウゼン、ノーノ・・を放送している。20世紀の音楽というと、高校の頃はじめて買ったFMラジオで放送していたダルムシュタット現代音楽祭の録音テープを聞いて、音楽という言葉がもつ意味を思いっきり拡げられた*1。新しさへの関心から放送は欠かさず聞いていたので、懐かしくもあり、当時の試行錯誤が今はどのように整理の方向に向かっているかという興味から、欠かさず聞いている。

今回は最近の演奏会からというテーマで武満徹作曲賞の受賞曲を放送していた。今年は一位該当が2曲、二位該当が2曲あり、今週は一位と二位を一曲づつ、来週は今秋放送できなかった曲(やはり一位、二位が各一曲)放送される。

今週は次の二曲:

「リーチングス」、セバスチャン・ヒッリ:作曲(15分15秒)

「存在の絵」、ファビア・サントコフスキー:作曲(18分27秒)

来週は次の三曲:

ディフェランス」、イーイト・コラット:作曲(12分26秒)、

「ループ・ファンタジー」、トーマス・ヴァリー:作曲(13分00秒)

「“私は第2の心を感じる”から抜粋」、カイヤ・サーリアホ:作曲(8分25秒)

 

音楽に国境なしといってもそれは物理現象としての音についての話で、音楽に係わる約束事の世界は地域・時代で大きく変わるだろう。20世紀の音楽のように、これまでと約束事が全く違う世界では、音の感じだけに頼って聞くだけでは取り付く島もない。今回の放送を聞く限り、やはりこれはコンテストの世界かな、と思った。

司会の西村さん自身、この作曲賞の審査をされたことがあるそうで、放送で、受賞曲を選んだ理由は『何か違う所、もう一回聴いて見たいと思わせる所があったから』と説明されていた。この、もう一回聴きたい所を認識するあたりは経験なのだろうけれど、せっかくの受賞曲が再演されるためにはこの経験に拠る基準を共有できる仕組みがあるとよいのに、と思った。

20世紀の音楽でも複数回の演奏を聴くと、印象が全然違うことがある*2。音楽の解釈は何度も演奏されているうちに定着してくるものなので、再演の切っ掛けになる手掛かりを残す事も大切なのではないか。*3

 

来週28日の予定も上に書いたが、この日は午前に用事があるので、これは聞けそうにない。

7月に入るとノーノの作品の放送がある。ノーノの代表作の一つに「イル カント ソスペーソ」があり、プロペルソーナ名義の論文*4でトータルセリエル音楽としての構成法を読んだ後、演奏音をごく一部聞いたことがある。数列で隅々まで設計してある音という予備知識と音の印象とはかなり違うので面白いと思った。

「イル カント ソスペーソ」は第二次大戦期のレジスタンスの闘士が残した手紙が歌詞になっていて、大戦の影響が冷めやらない時期の気分を色濃く映している。半世紀程度も経って、今の時点で、どう解釈され、どう聞こえるのだろうかと思う。

*1:可能法でなく受身の意味で。シェーンベルクウェーベルンの間にギャップを感じるものがあり、ウェーベルン以降の音楽は感覚的にも追うのが精いっぱいだった。

*2:八村義夫作曲、星辰譜をこれまで3回聞いたことがある。一回目の印象は言葉なしの音だけで描いた「桃色吐息」、二回目の印象はよく整理された冷静な演奏、三回目は紹介者がチューブラ・ベルを「喉自慢の鐘」と紹介して、間違いではないけれど、印象が引きずられて困った。

*3:といって、具体的な方法を考えているかと言われても困るのだが。

*4:音楽芸術誌に掲載されていた。