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狸系の里 シーズン2

はじめの一歩、二歩、散歩・・

判っているはずの事を言葉にする難しさ

情報民族音楽学ノートを書いた時にもっていた筈の問題意識をつい忘れる。日々の暮らしに埋もれて・・というのは言い訳としても。確認など。

 

ところで音楽に限らず、感覚的には充分に判っていることを聞かれて、回答しようと思うと適切な言葉が浮かばない経験をすることがある。こういう経験は、自分では常識と思っていることを聞かれて、あるいは、教えられてもいないし知らなくとも問題なかった件について突然聞かれて、経験することが多い。伝統邦楽は、こういう話題を適用する格好の元になっている感がある。例えばこれから先、海外に伝統邦楽の専門家が育って来た時に、旅行者から突然かなり専門的な質問を受けたら、(お・も・て・な・し^ ^;)どころか多分回答できない ・・

ともかくこういう経験はあとあとストレスになるので、出来る限り対応策をとっておくのがよい。そのためには、予め信頼できる解説を用意しておくに限る。情報民族音楽学を考える一つの発想がこの辺にある。

 

解説を組み立てる素材は資料であるが、筆者は頭の中では音楽資料を次の図に従って分類している。この図は、それぞれの地域にはそれぞれの時代に特徴のある音楽が行われており、それぞれの音楽の間には交流による影響があった、ということを書いている、何ということもない図。この図で音楽という言葉は音楽資料を指している。

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音楽資料は、最近のものなら楽譜、音源、資料集など、必要なものは捜せば大抵手に入る。音楽資料というと、相手は《「音楽」と呼ばれるもの全体》になるので、個人的に知っている音楽だけを指せばいいと言う訳にはいかない。正倉院にある琵琶は西アジアからシルクロード経由で運ばれたらしいなどいろいろな証拠から、上代の音楽を考えるにあたってすら、当時、広い範囲から音楽を移入していたことを想定して、アジア全域に資料収拾の網を張っておく必要があると思われる。

同時に音楽はそれぞれの地域・時代で独自に育ってきたものであり、これを説明する共通の言語がある訳ではない。このような素材を上図のように地域・時代の枠組みに合わせて整理しても、それだけで資料の全体を説明する言語ができるわけではない。

もちろん言語を抽象的な意味で捉えて、各地域・各時代で音楽を継承した際に伝達に使われた言語を想定することはできる。しかし、誰でも検証できる、資料の形で残された音楽資料、即ち「媒体に記録された形」は、文書で残っている場合でも地域毎・時代毎に独自な形をとる。口伝の形を取る場合に、資料としては断片的なものしか残っていないかもしれない。

 

こういう音楽資料を書きとめる言語(たとえば楽譜を一つの言語と考えて)を作りだしてゆく基礎として、情報科学及び情報技術は魅力的に見えるので、その魅力を引き出して判りやすい説明資料を作りだしてゆくのがこれからの課題になる。