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狸系の里 シーズン2

はじめの一歩、二歩、散歩・・

専門書マニア

今から思うと専門書マニアだったのかと思う位に、家にはいろいろな分野の本がある。

校生の頃に選択教科で音楽をとっていて、その関連で、作曲法教程*1とか、音楽芸術とかを読んでいた。こういう本にはたくさんの参考曲の譜が出ている。こういう曲を片端から聞いていたら今頃はいっぱしの専門家になっていたのだろうと思うと__β(^ ^;)ノ__、自ずと目が遠い彼方を見るのだったが・・__(^ ^;)__

 

それでもできるだけの努力はしていた。今と比べて当時は、テレビ放送やFM放送で聞ける音楽のジャンルの幅がずっと広く、12音音楽の考え方についての放送も、テレビとラジオで聞いたことがある。もっともラジオの方は真夜中だった事もあり、途中で寝落ちして*2、結果、一晩で乾電池を使い果たしたことがあった。さすがにこの時には、翌朝親が呆れていた__β(^O^;;;;)__

当時タイトルは知っていたが聞けなかった曲がいくつかあり、これが最近はFM放送に載ったり、CDで聞けたりする。12音音楽なんか当時は、「これを音楽と認定するか」みたいな議論があった位だから、普通に放送で聞けるのも時代が変わったからなのだろう。リストの灰色の雲や悲しみのゴンドラなど、CDであたりまえに聞ける。

昨日の晩、シェーンベルクの「地上の平和 (作品13)」を放送していた。この曲、最初は作曲法教程上巻4章27節で、技術的な意味で合唱出来る曲の上限の例として紹介されていた。原題Friede auf Erdenは、多分にグレゴリオ聖歌 In Terra Paxを連想するので、そういう内容かとも思っていたのだけれど、詩はドイツ語で作られている。手元に歌詞がなく、PCで何かしながら聞いていたので気持ちが集中できず、感想を纏める程イメージがないのが残念ではある。

 

専門書は、判っているかどうかは別として、覚えておくと視野を広める効果はありそうに思う。作曲法教程の上巻はメロディの基本及び歌曲編で、西欧限定ではあるが、歌らしい歌(5章31節)に並べて朗吟調(32節)の節がある。朗吟調というのはここでは、アリア(歌)に対するレシタティーヴォを指す。ドイツ語ではレシタティーヴォをSprechgesangとも言うらしいので、シェーンベルクの「月につかれたピエロ」はレシタティーヴォの意味合いがあったのかと思ってみたり、伝統邦楽は器楽より声楽が優勢であり*3、歌らしい歌よりは朗吟調のものが多いことを思ったりする。

こんなことを思い出すと、西欧風の音楽観に従って歌らしい歌を優勢に考えたくなる時にどこかで ♪一寸待って一寸待って、信楽さん__β(^ ^;)__、邦楽一般は朗詠調が優勢でっせぇ、などと声がかかって、それだけだという思い込みを思いなおす切っ掛けが掴めることもある。

 

まあ、研究テーマや趣味のテーマのように、これから育てる何かを模索するならそれでもいいけれど、チームワークで結果を出す環境では、考え漏れを指摘して困らせる原因にもなりかねない。専門書マニアには、環境に適合して情報を提供する工夫が必要だったようで、という落とし話。

 

そういえば8月の第一週と第二週で、FM放送でペンデレッキの音楽を放送するらしい。

ペンデレッキと言うと、黒い一反木綿が乱舞するような楽譜や、五線紙に脳波が書いてあるような楽譜*4を思い出す。特に脳波が書いてある楽譜がどういう音になるのかは今回はじめて聞くので、今から期待しておこうかとも思っている。

リゲティのアトモスフェアは弦楽器1丁毎に16分音符を使ったメロディが書いてあってこれが積み重なって曲になっている。黒い一反木綿はこの16分音符群を⊃エイヤ⊂っと縦横から押しつぶした音になる訳だけれど、脳波を積み重ねたらどういう音になるのだろうか。それは聞いてからのお楽しみ。

*1:長谷川良夫著、音楽の友社、昭和38年第10刷

*2:寝落ちは深夜放送の時代から^o^。

*3:雅楽は型が継承され、声明は宗派毎に分岐すると同時に能楽の流れを生み、その後の声の芸能を生むもとになった、ということ。

*4:ポリモルフォア