狸系の里 シーズン2

はじめの一歩、二歩、散歩・・

伝統邦楽の音楽理論

ここ数日、昼間は言うまでもなく夜も蒸し暑い。そんな事情もあってここ数日、「草木も眠る丑三つ時 ^_^;」を読書タイムにしている。昨日まで、怪談・・ではなくて ^_^;; ・・

国立劇場芸能鑑賞講座 日本の音楽《歴史と鑑賞》

を読んでいた。この資料は、副題からは歴史編と鑑賞編とから成るように見えるが、実際には歴史編と理論編とから成っている。全体を通して興味を引いたポイントは次の通り。

歴史編

・古代の音楽には、固有の音楽、大陸から移入した祭礼音楽、大陸から移入した宗教音楽がある。

・固有の音楽については、残っている資料が少なく、よく判っていない。

・大陸から移入した祭礼音楽の元を辿ると、東アジアの音楽(複数種)に加えて、南アジア、西アジア由来の音楽と考えられるものがある。但し林邑楽は、林邑はベトナムだが、音楽はインドのものであり、ベトナムの僧が伝えたことから林邑楽と呼ばれるようになった。

・大陸から移入した祭礼音楽は、音楽理論及び実践の双方の面で整理統合されて雅楽としてまとめられ、現在まで継承されている。

・大陸から移入した宗教音楽は声明と呼ばれる。声明と言う用語自体は音声学を意味するサンスクリット語の音訳。日本には、真言宗系の声明がまず入り、次に天台宗系の声明が入った。

・声明から、琵琶楽、能楽が生まれている。

・中世以降、様々な音楽が生まれている。信楽さんには音楽が、

「時代、作曲家、音楽の形式、作品名」の一覧でなく、 「時代、流派、創始者、上演の形式、演題」の一覧で記録されているのが興味深い。

 

理論編

日本音楽には全体を通した理論というものがない。これには上段の最後に書いた、「音楽が作曲家と作品とを単位に記載されているのではなく、流派単位に記載されている」ということが関係しているように思えた。

音楽を伝える手段として、技術を人から人へと伝える以外に有効な代替手段がない時代には、流派が口伝により音楽を伝えるのは自然な選択だったと言える。同時に、伝達される音楽は音に限定される、ということになる。音楽の仕組みに関する知見は*1口伝が有効な範囲に止まる。

しかし、大陸からは音楽理論が既に伝承しており、この理論に基づいて当時行われていた民謡が採譜された催馬楽譜が残されている。これについては、次の事情を考えることができるのではないか。

理論にはいつでも、実在との適合性問題がつきまとう。理論には、

  1. a) 様々な実在を説明するための理論と、
  2. b) 実在を実現する際の目標となる理論とがある。

理論が実在を完璧に説明していれば、理論と実在の内容は一致し、上のaとbとは違いがなくなる。理論が実体と一致していなければ、次の不適合を起こす。

  1. a) 説明できない実在がある。
  2. b) 実装できない目標を理論が与える。

数学を例にとれば、このあたりか。

  1. a) 無限大数は標準的な実数論では説明できない。(ε‐δ論法と呼ばれる技巧を使う。)
  2. b) 計算可能性を考慮しない理論が計算不可能な関数を示す。

音楽を例にとれば、実在の音楽が従う理論と採譜に使う音楽理論とが一致していなければ、採譜に使う音階には実在の音楽の音がない

ということが起こり得る。実際、現代でも、日本民謡を五線譜で採譜するとずれが起こり、このずれを気にする人には気になる*2

雅楽は様々な祭礼音楽が整理統合を経て成立していること、声明を辿ると南インドにまでゆくことが出来て、現代のインドの音階は独特の構造をしていること、などにも留意する必要がある。

 

いずれにしても、日本音楽について無理強いのない音楽理論を作ろうと思うと、まず現状を受けとめることから始めなければならない。つまり、まず、流派・宗派毎の音楽を説明する理論を確定し、この結果から共通する要素を問いだす事になるのだが ・・

音楽を曲(楽譜)と演出(解釈)とに分けて考えると、作曲家と演奏家とが分業体制を取っているところ(例えば西欧)ならともかく、流派・宗派毎の音楽では曲と演出とが完全に一体化しているので、結果としての音楽から曲と演出とを特徴づけるには、二つの素数XとYとの積C(X*Y=C)が与えられた時に、CからXとYとを求めると似た難しさに出くわすのではないか*3

*1:たかだか

*2:兼常清佐日本民謡研究では、五線譜を使って日本民謡を記述することはできない、としている。

*3:与えられたCからXとYとを求める問題の難しさは、電子的な暗号に使われていることからも伺う事が出来る。