狸系の里 シーズン2

はじめの一歩、二歩、散歩・・

やっと繋がった(改版)

以下、9月2日の記事の改版。

 

ここ数日、小泉文夫著の本を三冊(全て青土社)読み返していた。

民族音楽研究ノート 

・音楽の根源にあるもの

・日本の音

結果、やっと柴田南雄著「音楽の骸骨の話」に繋がって、小泉文夫氏のテトラコルド理論と柴田南雄氏の骸骨図との関係が理解できた。

 

情報民族音楽学というアイデアは元を辿れば「音楽の骸骨の話」の第1部6節「兼常清佐日本民謡研究」に辿りつく。最初の形は、「情報技術を基本として兼常清佐日本民謡研究」を再試行するというものだった*1

この6節には第1部の話題である骸骨図との関係が明記されていないこともあり、当時の視野はこの6節で閉じていた。

その後、「兼常清佐日本民謡研究」原典を読む機会があり、単なる思い付きでない、歌の資料を計画的に収集し、波形を観測し、数値的な処理を行い、得た結果が示されていることを知った。そうすると、手計算を自動化すれば効率化されるのは当然のことなので、そのまま再試行しても意味がある事*2とは思えない。

日本民謡を書く手段として五線譜は適当ではないという「兼常清佐日本民謡研究」の結論のその先に行くには、基礎とする音楽理論を選ぶ基準が必要と思われた。例えば「音楽の骸骨の話」の第1部を通した形で骸骨図の考え方が整理できれば、その整理に基づく分析を通して、日本民謡を書くためのより適切な手段が見つかるかもしれない。

ここまで考えた時に、学校から離れることになり、考えていることをはっきりさせる機会がないまま、情報民族音楽学という話題は保留とした。

 

還暦前後にこの保留していた話を掘り起こしてみたくなった。一つはせっかく途中まで考えた案だから完結させてみたくなった、ということがある。

 

テトラコルド理論については書籍を買ったままになっていたので読もうと思ったが、在職中は(当地の親族に非常に重い付き合いを要求され続けていて、その負担に耐え切れなくなりかけていたこともあり)読む機会がなかなか作れなかった。そこでまず、判っている範囲で考えている内容を纏めた。内容的には薄く広く、出来たことというよりやりたいことを書いている。それでも、伝統的な邦楽譜を含む膨大な資料を、現在の紙の形から計算機可読な形に移す作業に注目し、次の留意点を得ている。

①音楽研究と情報技術開発とは密接に連携すべき

‐新しい情報技術を創作するため

‐情報技術の長期に渡る運用を可能にするため。

複数の音楽研究期間が独立にかつ協調して活動できる仕組みを作るべき

‐膨大な資料に対応するために、共有し、閲覧し、随時結果の追試を行うために

 

最近伝統邦楽を教育に取り入れる方向が打ち出されて以降、伝統邦楽に関する書籍が刊行される機会が増えている。例えば手持ちの資料に次がある。

・福井昭史、よくわかる日本音楽基礎講座、音楽之友社

田中健次、ひと目でわかる日本音楽入門、音楽之友社

・月渓恒子、日本音楽との出合い、東京堂出版

これらを通して伝統邦楽資料の作成に必要な文字、絵図、音源などを機械可読な形式に整理する事も進むと思われ、同時に新しい資料を作成するために従来の民俗音楽研究の成果を電子化する活動も進むのではないかと期待している。

 

そこで、情報民族音楽学という看板の下での筆者の活動は、まず、最初に戻って、骸骨図と情報技術との関わりを明確化する所から始められるのではないかと思っている。ただ最初のように音楽の骸骨の話6節に閉じるのではなく、もう少し広く、少なくともテトラコルド理論との関連が付く範囲までは。

 

兼常清佐の日本音楽研究に対して音楽の骸骨の話6節で、ピッチのヒストグラムに見られる分布を音のコンジャンクション/ディスジャンクションに関連付けるという言葉が出てくる。

このコンジャンクション/ディスジャンクションはテトラコルド理論の用語で、4度の幅をもつテトラコルドでオクターブを覆う時に、二つのテトラコルドが端に来る音を共有して並ぶ時にコンジャンクションと言い、離れて並ぶ時にディスジャンクションという。このことから、骸骨図をグラフに見立てた時の節点は、音を識別しかつ音の特性を節点の特性として持つ図式と見なしていたのではないかと想像できる。こういう図式は、音声認識で使われる隠れマルコフモデルと似ていると思う。多分検索すればどこかであるに違いない*3

そうすると筆者としては、伝統邦楽譜の文献を写譜する技術に焦点をあててよいのではないか、と目論んでいる。骸骨図は楽譜の意味構造を書くために使う。

これが出来ると、漸く、標準的な音源を使って実地テストに入れることになる。

*1:学校にいた頃、1980年より前の話。

*2:何かの新規性があること。

*3:あることを仮定する。