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狸系の里 シーズン2

はじめの一歩、二歩、散歩・・

爺狸の昔話(じじたぬき)

狸系の目

爺狸がまだ豆狸だったころ、巣穴は箱根の山の東にあった。今から思うと想像もつかないのだけれど、海苔を天日に乾す工程を見たことがある。

 

こんな呑気な光景は小学校に入るまでの話で、入ってから出るまでの間はいい印象が全く残っていない。当時は生徒数の急増に学級数が追いつかず、午前のクラスと午後のクラスに分かれていた時期もあった。クラス自身、不良じみた小学生がいて、付きまとうようなことも普通にあった。

小学生でも高学年になると番長がいる。番長クラスになると相撲取りみたいな貫禄すらあるやつがいて、手下にいろいろ指図したりしている。こんなのと関わり合いをもつと、手下に付きまとわれて一日中クラスの中で奇声をあげて指さされたりするが、周囲は助ける雰囲気ではないし、肝心の教諭はというと、当時は急遽教壇に立つ位に経験の浅い教諭が受け持っていたせいか、つきまとわれている方にお説教したりする。中学以降は巣穴を変えたので、この関係は自然消滅して本当にほっとしている*1。苔むすほどの古狸にもなればタヌ対応というか、切り返しの知恵も付くのだろうけれど、3月も末の週に生まれて早上がりで小学校に入ったりすると、一年という遅れがハンデだったりもする。

 

なんでこんなだったのだろうか、と思うと、当時(1960年代)という時代が影響してたのではないかと思う。第二次大戦の終戦前後で、身分の上位下位がものを言う戦前から、一人ひとりの価値観がものを言う戦後に変わったはずだった。とはいえ、変化を頭では判っていても、日々の暮らしはまだ身分の上下関係が生きていて、クラスに上下関係が決まっていなさそうな生徒がいると*2、子分になれというリクルートがかかったのだろう。特に使い易そうに見えると、取り込みも輪をかけてしつこくなる。少なくとも上村事件が起こるまではそう思っていた。

上村事件を聞いて、昔巣穴があった所について次の二つの事を思った。

1:付きまとわりに負けて手下になっていたら、ご機嫌取りに死ぬ思いをさせられていたに違いない。

2:50年も経って未だに同じような事件が起こるとすると、身分の上位下位関係がものを言う雰囲気がそうとう深く定着しているに違いない。

 

もう昔の巣穴に戻る気はないが、万が一似た雰囲気の場所に定着しそうになった時には、次の事を実践したい。

A:周囲の常識と自分の常識とが違っている場合、自分から周囲の常識を変えさせようという努力はしない。先祖代々続く周囲の常識はそれなりの堅さをもっている。だからといって、自分の常識を変えることもしない。両方が地域で両立することが大切。

B:自分の常識をはっきりと話す事ができるように、確かなものとする。自分の常識を周囲に合わせるよう変えさせようとする「無駄な」努力を周囲にさせないようにすることが目的。代わりに、違いは認めた上で、ずれを調整する努力をさせるよう仕向ける。調整が出来る程度の違いに納める案をもっておく*3

これができたら神対応だが、これが無理でもせいぜいタヌ対応を目指して・・

*1:だから実名制SNSが「お友達」を捜してきて万一この関係を復活させる切っ掛けか何か作ったら、本当に迷惑だと思う。

*2:転校当初とか。

*3:あまりかけ離れていたらそもそも調整できない。