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狸系の里 シーズン2

はじめの一歩、二歩、散歩・・

纏め方と区切り方

情報民族音楽学という表題で私的メモを作っていて、一段落する地点を模索している。いままで5回書き改めているのでメモ作りは一段落して、もうそろそろ情報処理を手掛けたいきがしている。

 

一応何をやりたいかは決まっていて、次のようにかける。

足元にあって遠い日本の音楽について、情報技術を手掛かりにして知見を得る。

情報技術を使ったからこそ知る事ができる知見が得られることが望ましい。

この範疇には、伝統邦楽譜(古文書)の翻刻・翻字、音源資料からの採譜などが含まれる。

 

ここで採譜について次の問題があり、これが曖昧なまま情報処理というのも気懸りではある。

 

伝統邦楽は口伝により継承されてきた。楽譜は目安として使われている。つまり、正しいのは音であり、楽譜はメモ書きに過ぎない*1。これは、口伝により継承されてきた音が本来従うべき楽譜と、文献資料として継承されてきた楽譜とが本来一致するものなのか、要点が一致すればいいものなのか、必ずしも自明ではないことを意味しないか?

例えば日本語の文脈で使われている漢字は、「よみ」と呼ばれる音が意味をもち、漢字は音のもつ意味の要点を示す形として使われている*2

この違いを意識すると、情報民族音楽学の中心に採譜支援を据えるのが妥当なのか*3、音は音で、楽譜は楽譜で観察して両者の一致をとるアプローチを採るのが妥当なのか、良く判らなくなる。

しかし、採譜を中心にすれば焦点を音に当てる事ができるが、後者の場合には音についても由来を示す証拠が必要になる。これは上代の音楽なら、日本に伝来した可能性のある様々な音楽*4の特徴を、音は音で、楽譜は楽譜で観察して、特徴の由来を探ることになる。結果として、調査の範囲が途方もなく広がってしまうことになる。

 

なまじ情報技術を知っているとついデータ処理に走りたくなるのだけれど、もう第一線で成果を出すような世代でもないし、ここはテキストと音との情報処理に焦点を当てて、何が来ても破綻しないように技術を育てておくのがよいのかもしれない。そうすると、私的メモの改良を第5版で止めて、今曖昧な所はデータ処理をやりながら考える、のではなく、曖昧さを可能な限り無くして、実行は次の世代に任せるのがいいのかもしれない。

*1:江戸時代になると独習書が作られるようになり、これは楽譜に従って演奏することを前提に書かれている。

*2:猫という字は「苗(ミャオ)」と獣偏との組合せであり、どこにも「ねこ(語源については一説に、寝子‐つまり、昼間は寝てばかり。)」を示す要素はない。

*3:もちろん帰納的に音楽理論を構成するように手順を組み立てる。

*4:雅楽の系列では当時の東アジア圏の音楽及び西アジア由来の楽器(琵琶など)と音楽、仏教音楽の系列では南アジア圏の音楽、民謡のうちで追分様式のものについては北アジア圏の音楽。