狸系の里 シーズン2

はじめの一歩、二歩、散歩・・

音楽の比較

音楽は様々な常識が支えている。この常識は自然に定着して、音楽を聞く基礎になっている。例えば五線譜で書かれる音楽には、音符が示す音の高さ・長さを示された通りに維持するという常識がある。この性質はしかし、語りの性質が強く現れる歌の場合、維持されるとは限らない*1

ある音楽の常識と異なる常識が支えている音楽を聞く機会は至る所にある。学校教育では西洋の18世紀頃の音楽を支えた常識を教え、他方、放送などで聞かれる音楽は、程度の差こそあれ、伝統邦楽の常識に依存している。例えば、「売り上げXXXXの名曲」という表現は、音楽はそれを継承する継承者が提供する芸能であり成果は興行成績で測られる、という常識に支えられている。学校教育で言う音楽には、作曲・演奏・楽器の維持の全てを一括して管理する継承団体というものはないので、曲目と売り上げとは直結しない。

継承者が明確にある音楽は、指導者が直接継承者を指導できるので、楽譜を必要とはしない。他方、作曲と演奏とが分業になっている場合、作曲者が音楽を伝えるためには楽譜が必要になる。強い影響を与えた音楽には、楽譜として書かれた音楽を構成する原則、楽譜を音に具体化する際の演奏の原則など、原則的な面で特徴がみられる。

以上の簡単な考察からも、音楽を比較するという一言がもつ内容の複雑さが見えてくる。音楽を比較するには、一つの音楽の原則を他に無理やり当てはめてではなく、双方を対等に見る観点を設定することが前提になる。

兼常清佐日本民謡研究が面白いのは、個々の音楽には係わらない特性として、音の物理的特徴に注目し、音楽を記録した波形を分析対象に選んでいる点にある。もちろん、音の常識を反映した楽譜と音の波形を記録したものとの間には乖離がある。一言で言えば、楽譜を演奏家が解釈した結果が音になるので、音から楽譜を得るには音の波形から演奏家の解釈の影響を補正しなければならない。そこで、楽譜と音の物理的特性とは同一視せず、対応付け可能な、別の視点からの表現と見なす。

音の物理的特性は次のように使う。音の物理的特性は、異なる常識に則って書かれた音楽を比較するための共通の記法と考える。異なる常識に則って書かれた楽譜を比較するにあたり、それぞれの楽譜から、それぞれの音楽に対応する、音の物理的表現を作る。この音の物理的表現を仲介にして、楽譜に書かれた表現を比較する*2

 

今、このようなストーリーで、比較音楽研究を行ってみたいと考えている。

*1:実際、シェーンベルクのSprechStimmeでは、音の高さについて、音符の先頭位置では指定を守り、その後は語りに配慮して外す事になっている。

*2:楽譜が無い音楽を対象とする場合には、採譜により、適切な楽譜を作成する。