狸系の里 シーズン2

はじめの一歩、二歩、散歩・・

音楽の比較は常識を書きだして比較する問題

音は物理現象であり、耳に入れるだけなら国境など意識せずどこでも聞くことができる。この物理現象を耳に入れた後どうするかについては、音楽毎に決まった約束事があり、音楽の作りは少なからずこの約束に影響を受けている。

音色がメッセージを運ぶ音楽なら、所定の決まりに従って音色を切り替えながら音楽が進む。聞き手は音色の変化に注意を払いながら、音楽が運ぶメッセージを聴く。

所定の動作のタイミングを示し、聞き手全員が同じ動作を経験するための音楽なら、聴き手がタイミングを正確に測ることができる音を並べて音楽が作られる。聞き手は音でタイミングを取りながら所定の動作を行うことで、会場に参加した感覚を体験する。

 

この音楽毎に決まっている約束は、音楽を聞く経験をとおして長期に渡り蓄積される。聞き手はこの約束事を特別な約束事としては意識せぬまま、音楽を理解する基礎的な知見として、約束事に従う。音楽が決まればこの約束事も決まってくるので、同じ音楽を聞く聞き手の間では常識として働く。しかし、約束事が違う聞き手の間では、常識に影響されて音楽という言葉が指す対象が一致しないことがある。

伝統邦楽では音楽は、ある宗派・流派が継承し、それぞれの継承団体は継承する音楽に関して、作曲・演奏・上演を一括して維持する。継承は指導者が継承者を直接指導して行われる。そのため、楽譜に相当する文書がある場合でも、補助的資料(目安を示す資料)という扱いを受ける。

国内の初等・中等教育の教材として扱われる西欧の音楽には、作曲・演奏・上演を一括して維持する継承団体というものがない。作曲、演奏、上演は分業体制の下で行われるので、作曲者は自身の創作物を記述する文書資料として楽譜を書き、演奏家と楽譜の解釈の打ち合わせを行う際の資料として使う。演奏家は、楽譜を解釈し音を作りだす経験を取りまとめた文書資料を残す事がある。これとは別に、楽器・会場の整備を担当する関係者は、楽器の構造と調律とに関する資料、会場の構造に関する資料などを残す。

 

伝統邦楽の意味では音楽はある完成された上演形態を指しているように見える。他方、西欧の音楽では、音楽は曲を構成する音が満たすべき基準の集まりを指しているように見える。上演形態という意味では、西欧の音楽は、演奏家によって常に作りかえられており、完成した上演形態というものがない。

伝統邦楽の意味では、音楽が受け入れられた程度は継承団体の活発さで測ることができるものであるように見える。この意識を前提として、「売り上げXXXX枚の名曲」という言葉の意味が理解できる。西欧の音楽の意味では、作曲・演奏・上演のそれぞれの分野で、ある基準が与えた影響の広がりで測ることができる。個々の曲というよりはある基準*1であり、その基準の実現例として個々の曲がある。この意識を前提とすると、「売り上げXXXX枚の名曲」という言葉は焦点がずれている。

 

問題は、音楽に係わる約束事が、音楽には固有であっても、それが様々な音楽を通して絶対的に成り立つとは限らないことである。音を聞くだけならどのような音でも耳に入ってくることから、ついつい、ある音楽の常識を通してみた他の音楽の常識で、他の音楽の常識を理解するのはありがちではあるが*2。音楽を特定の継承団体が継承する場合、外から見て、継承されている技芸の詳細が見えてこない。そのため、継承者の創意が見えず、単に外来文化の形をそのまま継承しているだけではないか*3と思われることがあるとしたら面白いことではない。例えば、歌と語りの結合というアイデアをA.シェーンベルクが考案して、グレの歌の辺りから作品を書いているが、歌と語りの結合という表現は伝統的な声楽で古くから試みられてきた。この両者がどのような関係にあるかを問うには伝統邦楽が継承してきた内容を知る必要がある。

 

比較は次のように進む。音楽には固有の約束事があるとすれば、比較にはまず、音楽をそれぞれに固有の約束事から独立した方法*4で正確に書くことから始めて、注目している要素を共通記法の上で比較する。

 

これまでいろいろ考えて来た事をこんな海図に纏めてみた。今年はこの海図を頼りにこぎ出してみようかと思っている。

*1:例:音楽の形式を調性の対比によって展開するという作曲に関する基準

*2:日本語で普通に音楽という場合には、宗派・流派が継承する芸能としての音楽を指すように見える。

*3:文書資料だけを見るとそう見られかねない。

*4:共通記法。例えば音響パラメタによる記述に音楽の構造に応じた区切りを入れたもの。