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狸系の里 シーズン2

はじめの一歩、二歩、散歩・・

楽譜と工業標準の類似性

楽譜という言葉が表す意味が、西洋の音楽と日本の音楽とで、えらく違うことはよく経験する。楽譜について語られているイメージを総合すると、工業標準に類似した側面が見えてくる。但しこの感想には、信楽さんが一時、日本工業標準(JIS)の策定に係わっていたことが影響しているから、工業標準を知らないと判りにくいかもしれない。

工業標準は、ある工業製品が一定の品質を維持するために製造現場が従うべき基準を示している。楽器を演奏して音を作りだす事をある工業製品を製造する作業に喩えるのは不謹慎な感もあるが、大切なことは、作業でなく、品質に焦点を当てていることにある。品質に焦点をあてるなら、音楽を具体化する音に期待される品質があってもいい。もちろん、単純な尺度で評価できるようなものではないにしても。

もう少し工業標準に拘る。

原則的な基準から段々と特定の製造現場に特有の基準を加味して具体的な基準に至る、階層的な構造がある。階層的な構造とは、例えば、日本国内の共通基準→ある業界の共通基準→ある企業の基準→ある現場の基準、のような構造をとる。基準が具体的になればなるほど、その領域に固有の事情を加味して、動ける基準ができてくる。逆に、日本国内の共通基準はおよそ原則的なことが書いてあって、どう動けばよいか、基準をどう読めばよいかは経験に照らしてみないと判らない。但し、この階層性によって、それぞれの現場が工夫する余地が見えてくることになっている。

楽譜をある曲の具体化である音がもつべき基準を示すと考えると、工業標準の話も楽譜の話と繋がってくる。一つの音符は必要な音がもつべき特性を表し、演奏時にその特性を遵守する強さは、その特性と音が置かれた環境*1とに配慮して加減する。

と同時に、基準がもつ性質を考えると、日本の音楽でいう楽譜と、西洋の音楽で言う楽譜と、意味がどこですれ違うかが見えてくる。

工業標準のイメージで言えば、西洋の音楽で言う楽譜はその曲のすべての実現について、音がもつべき基準を規定する。これに対して日本の音楽で言う楽譜はその曲を、その曲を継承する流派の価値観に従って上演する時に、全ての音が従うべき基準を規定する。日本の音楽の意味では流派の意匠に関する基準が加わる分、規定が非常に具体的になるはず。これに対して西洋の意味では、音の意匠に関する基準は演奏家が決めることになっているので、楽譜(作曲家が演奏家に提示する)の規定は抽象的になっているはず。これはありのままを見るとこう見える、という話であり、優劣とは関係ない。それぞれ、想定外の使い方をする時にはある問題を解決することになる。

 

西洋の音楽では、実際に音を制作*2する場面で従う基準は演奏家に任されているので、DTM制作などで音に表情を付ける際の基準が必要になる場合でも資料がない*3。日本の音楽では、その流派で継承する音の基準は継承する関係者に問えば判ると思われるが、ある曲の楽譜*4は公開されない。もしかしたら、流派が継承する秘曲の楽譜は実在し、流派がこの曲の詳細について継承してきた内容について明文化できれば、この楽譜を公開することもできるのかもしれない。そのあたりはよく判らない。

 

ともあれ、楽譜が表す内容に意味的な階層構造があることを認めるなら、音楽を聞くには国境を意識する必要がないからと言って、楽譜という言葉を安直に使うのは避けたい*5

*1:一つの音については、その音の高さ、長さ、強さ。音の並びについては前後の音との繋がり具合。もう少し大きな纏まりについては、演奏する速さの伸び縮み、特定の楽器を際立たせる、・・・。

*2:DTMによる音作りまで考慮する意味であえて制作という。

*3:個々の演奏者の判断に委ねられる部分なので、音楽の制作者が創作しなければならない。

*4:その曲の実現である音すべてについてを規定する基準を書いた文書。

*5:階層的な関係を上がり下がりする仕組みを作ってからなら安心して言えるが。こういう仕組みが出来ていれば、日本の音楽の、西洋の音楽の意味での楽譜を要請された場合には、音がその曲と呼ばれるための基準を記載した文書を作って渡す事になる。また、西洋の音楽の、日本の音楽の意味での楽譜を要請された場合には、特定の演奏家を流派の宗家に位置付けたうえで、その演奏家の解釈を事細かに追記した楽譜を作って渡す事になる。