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狸系の里 シーズン2

はじめの一歩、二歩、散歩・・

声明について基礎から調べてみよう

これからしばらくの間*1、聲明について調べてみようと思っている。

これまで伝統邦楽の資料を見ていて、「音楽」のような普通の言葉が独特の意味をもつ所で引っかかることが何回かあった。言ってみれば、記号と指されるものとの対応関係が、「常識的な」枠組みとは違っていた部分があり、そこで引っかかっていたのではないか。

例えば音楽という言葉からはつい、楽器が主体となった音表現活動を連想する。ヨーロッパの音楽の場合、紀元前264年にはオルガン*2があったと言われている。これなど、複数個の音を同時に響かせる事に対する好みをよく示している。この後に続く楽器の音楽が、「音楽」という言葉のイメージの素になっているのではないかと思える。ヨーロッパ音楽には楽器の音楽と同時に詩の朗読というジャンルもあり、シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」はもともと詩の朗読会のために作曲されたと言われている。音楽事典には、レシタティーヴォのドイツ語訳にシュプレヒシュティンメが載っていた。

そこで、シュプレヒシュティンメを現代風なレシタティーヴォだと思うことにして、ヨーロッパの歌にありアリアとレシタティーヴォという分類があることを思い出してみる。歌としてはアリアであり、レシタティーヴォはアリアのわき役、というのが、言ってみればヨーロッパ風な認識であるとすると、聲明は、アリアなしのレシタティーヴォの連続で構成されている・・この辺りが、音楽として聴こうと思うと取り付く島がないように見える一因か??

 

ともあれ、言葉の行き違いで難しくなっている部分は言葉のやり取りではなかなかすっきりしない。このあたり、聲明を内から修業した経験はなく理解はこれからの身ではあるけれど(だから)、躓いて理解に戸惑ったところを書きとめておくと、後から見て何か得ることがあるかもしれない。

という訳で、信楽さんの情報民族音楽学、実質的な活動をはじめます。 m(_ _)m

*1:一生^^;

*2:水オルガン、クテシビオスによりアレキサンドリアで制作された。