狸系の里 シーズン2

はじめの一歩、二歩、散歩・・

図書館で借りた本を巡るあれこれ

最近、近くの図書館で本を2冊借りた。

1) 工藤隆「歌垣と神話をさかのぼる」、新典社選書12、新典社1999.7

2) 柴田南雄「声のイメージ」岩波人文セレクション、岩波書店2013年10月

1)は、上代の婚活(^^?)というか歌垣についての文化人類学的な調査報告。同じような習慣が中国南部の少数民族にも見られる、という話。

2)は上の本を借りに行った時にたまたま見つけた本。

 

事物を文書で残す習慣がない時代には、作業手順等の纏まった内容を記憶し、実施する段階で間違いなく公開する手段として、定型化された声の表現としての「うた」があったのではないか、というのはありがちな仮説と言える。実際にはどうだったのかなと思ったのが、1)を借りた動機。ただ、実際に現地で取材する*1と、外部の人と意識される人がいる/いないで周りの雰囲気が変わってしまうので、取材できるのは言葉と習慣に習熟してからになるという難しさがある。加えて、時代的・社会的背景もあり、婚活(?)的なものすら無くなりかけているという。掲載されている資料のうち音楽に関する部分は、音に係わるものはなく、テキストのみだったので、音楽の仕組みについては別途資料に当たることになる。

 

2)は偶然見つけたものだけど、なかなか示唆的だった。

柴田氏の書籍は、情報民族音楽学というアイデアの発端から影響を受けている。

A: 最初は学生の頃に読んだ「音楽の骸骨の話」

ここに掲載されていた「兼常清佐日本民謡研究」の章。兼常清佐は映画のフィルムに記録された音声波形を顕微鏡で観察して音の波長を求め、ここから記録されている声の高さを計算で求める、という方法を使って日本民謡の特徴を調べている。この方法はそのまま、より効率的に、計算機上で実行できる。

ただし、記録された音声波形は音楽を具体化した一例であるということから、音楽の規範的な形からは次の原因で変化する。

・演者の創意による演出

・当日にたまたま発生した事象(掛け声とかの)

・演者のミス(ないとは言えない)

・他

だから、採譜は一か所・一回では済まず、地域の全体で出来る限り多数の資料を集める事が必要になる。

一時、伝統譜がある音楽なら伝統譜を規範として採譜結果を具体化の一例として、採譜結果を確認し、同時に演者の創意を見る事ができるのではないか、と思ったことがある。それで、声明や催馬楽に興味をもって資料に当たってみたのだけれど、話はそれほど単純ではないらしい。

現在の民族音楽学でも、民謡を五線譜で採譜する際、民謡の音が五線譜の仕組みから外れることがあって、注記するために特有の記号を使う*2。洋楽でさえ、声楽を純正調で歌い、ピアノが平均律で伴奏することはある。伝統邦楽では、口伝が主体で楽譜は目安という原則があるので、楽譜を規範と考えてよいのかに微妙な点がある。

楽器を作るには音の規範が欠かせないので、もし伝統邦楽が楽器主体だったら、伝統譜が示す規範に従って演奏するという習慣が成立していたかもしれない。信楽さんはその因果関係については判らないのだけれど、結果的に、伝統邦楽は声が主体でここまで来ている。楽器を作る過程は師範からの口伝で実行されるので、楽譜は目安でよいことになる。

結局、何が音の規範であるかは、楽譜を見る限り判らないということになる。

 

でも音に規範を探りたいと考えるなら、音楽の由来を探ることになる。どこかに規範が残っていれば、それを頼りに再構成することになる。この辺を考えている折に、柴田氏の放送大学のテキストを見つける。歌垣という言葉はもともとこの本から見つけた。

B. 放送大学教材「音楽史と音楽論」*3

この本の21頁に柴田氏による、日本音楽と外国音楽との関わりに関する図が載っている。B.C.300年頃の出来事として歌垣という単語があり、そのあと紀元元年頃の出来事として、中国大陸・半島系の音楽の流入がある。そうすると、歌垣という単語が出てくるあたりの音の特性が判ると、伝統邦楽の音の規範性を見る手掛かりにはなりそうという期待感が出てくる。但し、調査範囲が国内から出る。さらに、B.C.300から催馬楽が成立するA.D.850ころ*4までには1000年の時間差があり、その間には様々な音楽が流入してくるので、歌垣のころの音と催馬楽のころの音がどういう関係にあるのかはよく判らない、ということになる。よほど変わらない部分があれば、それが規範になってはいるだろうけど。

そんなこんなで、結局今の所、情報学的採譜という用語には、伝統譜表現と信号としての声の特徴表現とを同格に並べて、双方に音符(伝統邦楽の意味では小旋律?)に相当する位置に区切りを入れ、対応する区切り間に「対応する」という関係を設定する作業、ということにしている。

 

C. そして「音のイメージ」

これまで情報技術(主に信号処理技術)と民族音楽学との絡みを話す機会がなかった訳ではないのだけれど、話すたびに返ってくる反応は決まって「面白そうだけど何の役に立つの。そんなことをしている位なら、こいう、役に立つ(=稼げる)話をしたら」だった。それである時以降は自分がする話の輪郭がはっきりするまでこの件は(表の席では)話さないことにしてイメージをためて来たのだった。が、いざ文章に起こすと、自分でも筋立てが難しいことがよく判る。絵が書けるだけでは現実の話にはならず、絵を現実に持ってくるまでには意外なところに落とし穴がある。あるいは、想像できて、どこまでも近寄れるけれど、そこには到達できないものにぶつかったりする*5

絵が現実になるにはいろいろな裏付けがいる*6訳だけれど、音のイメージを読んでいて、情報民族音楽学の内容を文にまとめる時に思い悩んでいた項目*7の考え方が載っているように思えた。

 

それで、絵コンテができたことにして、そろそろ作画に入ろうかな、とも思う。学校にいた頃とは計算機環境が全然違ったので、同じ事を今の環境で手掛けるあたりから。

具体的にはこんな感じで:

音楽と情報技術との関係について言えば、先方の環境に移植して手数をかけずに育つものを用意したい。音楽のように人の創意の結晶の世界では音楽の名の下に何を持ってこられるか予見することはとても難しいので、情報側で推奨品を用意するには、予め広い範囲に種をまいておく必要がある。五線譜を使うにしても民謡のための拡張ができて、その拡張は個々の音符レベルから、いくつかの音符を合わせた小旋律を一つに纏めて見せる・・など。

こういう、使う側の事情を横目で見ながら情報技術を収集すると、情報固有の領域では最先端でなくとも、いつか芽を出す種があつまるのではないか。

*1:フィールドワーク

*2:コダイ著、関訳、ハンガリーの民俗音楽、p172楽譜に使用した略号。

*3:手元にあるのは2004年の改訂版

*4:同じく21頁の図による

*5:ここで言っているのは神様の話ではなく、円周率πのような数字を考えています。πというのは名前であり、円周率という数字があることは誰も疑わないと思います。この数には、有理数を係数にするどんな代数方程式の根にもならないという性質があり、この性質から、数値を書ききるには無限個の記号が要ることになり、πに到達することはできない、ということになります。これと比べると√2なんかは、「x=√2はx×x=2の正の解」と書けば値を書ききることができてしまいます。

*6:アニメが現実感を得るには詳細な絵コンテが要るように

*7:筆者に現実感覚がないところは想像で補う事になり、その箇所については、文章にしたけど本当かなという感想が付きまとう。そういう所に限って言い回しがくどくなって読みにくい^^;