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狸系の里 シーズン2

はじめの一歩、二歩、散歩・・

なんかちょっと違う

支線

はてなのメールで去年の6月8日に書いた現代音楽(FM放送、クセナキス)に関する記事を振り返りませんかというお誘いがありまして、素直な振り返りではないけど一言かいて見ました(^^;)。

 

高校~大学の頃というと現代音楽真っ盛りの時期で、ドナウエッシンゲン音楽祭の実況テープが放送されたりしていた。当時は音楽の新しい流れという熱気に引かれて聞ける放送にはできる限りつきあっていた。それから半世紀たって、ある時期を境に現代音楽という活動に係わる熱気が急速に消えていったように思う。象徴的だと思ったのが、音楽芸術誌*1が休刊する時に、最後の特集がラフマニノフだったことで、一体何が起こったのだろうかと思ったのだった。

 

この原因にはいろいろなことが言われているが、信楽さんは、「否定することに意義がある」時代が終わったことが大きいのではないかと思う。FM放送でルイジ ノーノを放送していた時に聞いた略歴では成人するまでの時期が第二次大戦に重なるという。柴田南雄の現代音楽の歩み(角川書店)では、メシアンは収容所の中で作曲技法を考えていたのではないかという記載があった。大戦がようやく終わり、結果の深刻さに立ち向かわざるを得なくなった時に、社会全体として「(こういう深刻な結果をもたらした原因である前の時代は)すべて否定することに意義がある」という空気があったのではないか。

 

ただ、否定するだけではそこから何も生まれないし、何かを見落とす事もある。

 

シェーンベルクを指して「調性の破壊者」と形容することがあるようだけれど、なんか一寸違う。シェーンベルクの作品一覧を見る限り、「調性の破壊」が目的だった時期は無く、問題意識は、「作曲のインフラストラクチャとしての調性はあまりに狭くなってしまった」あたりにあったのではないか。

少なくとも交響曲のようなドイツ系の音楽*2では、音楽はある決まった形式に音を揃えて作られる表現であり、音の起承転結は調性に基づいて組み立てることになっている。この調性というインフラが狭くなってきて、曲を組みたてようとして領域を宣言すると誰かの領分とどうしても重なるようになってきた*3。それでもあと一世紀位は交響曲を書きたいと思えば調性というインフラに手を入れて、広げる必要がある。シェーンベルクがやりたかったことは、この、調性というインフラの拡張であり、これを破壊と言ってしまうとちょっと意味が違う。「拡張」が目的なら、調的フレーズと「拡張された」調的フレーズとの行き来で音楽の起承転結をつけてもいいことになるが、この線では弟子のベルクにいくつかの仕事がある*4。「拡張された部分」で一貫して曲を書き続けると、調性からは脱出した音楽になるが、この線は弟子のウェーベルンの仕事がある。

 

この拡張部分は、12音技法と呼ばれる部分とそれ以外*5とがあるが、現代音楽を唱導する人たちは12音技法をさらに極端にしたような「トータルセリエール音楽」の方に進んでゆく。おそらくシェーンベルクを「調性の破壊者」と形容する空気はこの流れに沿っている。調性というインフラを拡張する動きはリストなどにもあり、新しい枠組みを求める動きとしては自然に思える。しかし何故、「否定‐破壊」に傾倒してしまったのかといえば、やはり戦後の影があったのではないか。結果として、一応、戦後の影が解消されると、「否定‐破壊」を推進するモチベーションが消え、代わりに、インフラストラクチャの拡張という出発点に戻って「何ができたのか」が問われるようになる。そうすると、「否定‐破壊」だけでは飽きられて・・・

 

ただ、音だけで表現する音楽から音とそれ以外(舞踏、映像、パフォーマンス・・・)とを組み合わせる方向に進むというのは、音だけの表現をどうするかという問題を置き去りにした解決であり、どの方向に進んでもいつか行き止まりが出てくるのではないかとも思う。

*1:1970年頃には現代音楽活動の機関誌みたいな位置づけにあった。

*2:音だけで完結する音楽、と言ってもよい。

*3:柴田南雄、現代音楽の歩み、109頁から111頁に「ハ長調交響曲」の懸賞に関する事件が載っている。この件の原因に関して、柴田氏は、『ハ長調交響曲を隅々までオリジナルに書きあげる事が難しくなってきたのであり、バレー曲を公募したらもっと意義のある懸賞になったのではないか』という内容を述べられている。

*4:バイオリンの協奏曲など。

*5:五つのオーケストラ小品集の第三曲「色彩」のような、音色で起承転結が展開する音楽など。