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狸系の里 シーズン2

はじめの一歩、二歩、散歩・・

指揮者のお仕事

聞くだけの立場で音楽に係わる身には指揮者というお仕事は不思議なものに見える。これは素人だけの話ではなくて、ジャンルの違う音楽に係わる人にもそうらしい。

 

放送大学の印刷教材「日本音楽の基礎概念」[ISBN4595571585]に、日本音楽にはなぜ指揮者がいないのか(問6、53頁~62頁)という項目があり、かなりのページ数を割いて説明文が書かれているのだが・・ 正直いってピンとこない。どうも日本音楽の専門家には、指揮者という職業は楽員の前でタクトを振る役職と映るらしい。素人がそう思っているのは特に実害がないけど、専門家が印刷物に書いてしまうのはどうか。

 

高校辺りの部活でブラスバンドや合唱の経験がある人なら、演奏は音を作って行く練習の成果の披露であり、音を作って行く練習の間、指揮者が事細かい指導を入れてくる経験があると思う。指揮者のいる音楽は、演奏毎に音を作って公開するものなので、ある意味、プロジェクト活動に相当する。指揮者はいわば、プロジェクトリーダーという役柄か。ごく小さな編成ならプロジェクトリーダーがたつことなく音作りの練習を行う事もできるし、習慣によっては楽器(ピアノとかチェンバロとか)を弾きながら指揮をすることもある。これは放送などで曲を紹介するときに「指揮とチェンバロは誰誰」という説明が入ることがあるので、実演を見なくとも想像がつく。

 

いや、この文章は知ったかぶりしようという意図ではなく、書籍の読者が次のような反応をすることを危惧して書いているつもりなのだが。

 

指揮者の職責は、音楽という言葉が指す対象が邦楽と洋楽とで大きく異なる部分に関係する。

日本音楽は初代が完成した芸を継承するところに価値を見出す、いわば継承の芸能であり、完成された芸を指導者から直接に伝授されていれば、当日に向けた練習はそもそも要らない。

一方西洋の音楽は、作曲家と演奏家個人(又は演奏家グループ)との創意に価値を見出す。後者には完成した芸というものがなく、演奏毎に、演奏家が達成した最良の音を提供する。音の質を磨くために練習は熱が入るし、リーダー役の指揮者には音に対する責任がかかる。

こういう事を知識として得るには本を読むなりの手数がかかるが、経験としてなら知らない間に習得することもある。タクトを振ることが指揮者の職責と読めるような項目は、指揮者の職責を指導を受けた経験として知っている読者は、軽率な印象をもってしまうのではないか。

 

現状音楽は五線譜でという習慣があるのでやむを得ないのだけれど、伝統邦楽の入門書で、不注意に洋楽を引用すると、書籍全体の印象が軽くなるような気がする。これは、伝統邦楽を扱う書籍の絶対数が少ないことを考えると、ちょっともったいない気がする。

 

伝統邦楽をそれぞれのジャンルの言葉で説明して五線譜ともリンクする説明の方法を考えると、間に、音の物理的特性の測定結果を挟むのがいいのかもしれない。