狸系の里 シーズン2

はじめの一歩、二歩、散歩・・

交易文明圏を巡る空想

手元に「メソポタミアとインダスのあいだ」(筑摩書房 (2015/12/14)、ISBN:4480016325)という本がある。AMAZONの紹介欄によれば本書の内容は次の通り。

 

>>大河の恵みを受け、メソポタミアには人類最古の文明が誕生した。そこは農産物こそ豊富だったが、木材、石材、金属などの必要物資はほとんどなく、すべて遠隔地からの輸入に頼っていた。輸送を担ったのはアラビア湾の海洋民たちである。彼らは湾内に拠点を構え、遠くメソポタミアからイラン、インダス河流域まで出張して取引し、巨富を得ていた。一大交易ネットワークを築き上げた湾岸文明の実態がいま明かされる。考古学の新しい成果に文献史学の知見を援用し、農耕文明を中心とする従来の古代文明論に挑戦する大胆な書。<<

 

メソポタミアとインダスの間、という規定が実は一般化できて、強文明圏の周囲にはいつでも交易圏があった、と言えると、日本音楽に関連して遺跡から発掘される遺品の楽器などについても、交易圏経由で運ばれたものなのかとも思いたくなる。あるいは今、強文明圏として知られている(昔風の言い方で言う)四大文明も、交易圏ネットワークが先にあって、交易品をきっかけに拡大して現在に至っているのかもしれない。土にまかれた種も、土にnatureがなければ芽を吹くことはない*1。文明圏について語る文脈ではnaturaとはある種の生産技術を指すと考える。音楽についてはこんな想像が成りたつ。楽器が伝来した時に、その楽器を製造し、運用するには様々な工人の手が必要になるが、事前に工人の集団があれば、その楽器はその文明圏で音楽を演奏するために使われることになる。

 

こんな想像をしたくなる理由は、カンテレ*2Wikipediaで検索していた時にギリシャ古楽器プサルテリウム*3の記事を見つけ、この楽器に関する検索で、ギリシャの詩人ホメロスがプサルテリウムを手にした立像として造形され、なんとはなしの連想で、日本の埴輪、琴を弾く人を思い出したことによる。古墳時代の頃技術を伝えたのは人であり文書ではなかったことを考えると、この埴輪に造形された琴(和琴)も、吟遊詩人が海外から持ち込んだ楽器が原型になっているのではないか、など。もちろん、カンテレの原型が西に進んで現在のカンテレになり、東に進んで和琴の原型になった、など、想像することは自由としても、想像以上のものではないことは確かなのではあるが。

 

今年のノーベル文学賞の選定理由の中に、吟遊詩人の歴史に繋がる、という一節があり、こんな事を思い出した*4。但し、2000年1月の地元紙に雅楽の伝来経路を追うとシルクロードを伝ってコンスタンチノープルまで行き着くという図があり、日本の音楽に交易文化圏経由で持ち込まれて痕跡が残っている事物が西アジアにまで遡ることは確かなのだろう。

*1:泉井久之助著、ヨーロッパの言語、28頁以降に書かれている、ラテン語naturaに関する記事を参照している。

*2:フィンランドの民族楽器

*3:カンテレと似た形をしている

*4:ついでにHAIKUに纏まりの悪い記事を書いたりもした--;。