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狸系の里 シーズン2

はじめの一歩、二歩、散歩・・

紙と鉛筆と出版を見直す

狸系の目

伝統邦楽の歴史は非常に長いこともあって、既に膨大な研究資料が蓄積されている。今更素人が手掛けてみた所で、思いついたキーワードを検索すると何件も文献がヒットする。だから、今まで情報民族音楽学という言葉で文書を作ってきて、何か方向性が違う感じが付きまとっていたのだった。では何故、この分野に興味を覚えていたのだろうか。そう考えると、次に思い当たる。気軽にメモを取るためのシステムがない。

 

PCが普及して、普通の文章、普通のメロディはPCの上でメモを取るシステムがある。ここで普通の文章とは、言ってみれば商品カタログのような、ある定型的な書式に従って文字と絵とを組み合わせることによって、頁が作られている文書を指す。普通のメロディとは、五線譜に書かれ、音源が市販されているメロディを指す。

 

一言で普通の文書、普通のメロディと言ってしまうと簡単なもののように聞こえるけれど、現在のさまざまな商用エディタ、ワードプロセッサ、デスクトップシステムが普及するまでには、文書の範囲を決める要素となる符号化文字セット、文書記述言語、頁記述言語に関する様々な試行、メロディを書く記述言語、音を記述する言語、音を作る装置に関する、計算で音を作るか録音するかを巡る試行*1などがあって、その結果とし技術が確定する。一旦技術が確定すると、様々な製品が広く普及して、気軽に使えるようになって、今がある。

 

印刷文書を古文書から考えると既に千年のオーダで蓄積がある。これらの文書の中には、文学・歴史学的な資料に限らず、音楽(古楽譜)、技術(建築関係)、地理(地図)・・などさまざまなものがある。肝心なことは、これらの資料は読むものであることは当然としても、内容を検討するためには文書の内容に関してメモが取れなければならない。

 

例えば日本の音階*2は三分損益法で高さが導かれ、この三分損益法は西洋のピタゴラス音階の作り方と同じとされている。実際に三分損益法で音の高さを計算すると、ミ、ラ、シ、ファの所で問題が起こる*3ピタゴラス音階は基礎にオクターブと五度とを置き、単純な作りになっているが、今のドレミファ・・に直接繋がるものではなく、五線譜は(不等分)平均律の約束に忠実になるように構成されている。とすると、五線譜に書かれた日本の音階は、五線譜の約束に従って読むと現実からずれが起こることになる。もちろん、厳密に言えば違いはあっても、今使えるシステムを使って書ける所は書くのだけれど、違いがある分システムが使いにくく*4、また結果を解釈する必要がある分読みにくい。

 

紙と鉛筆で原稿を書いて出版していたときには、特殊な書式に対応する出版技術を出版段階で開発できたので、どうしても必要な書式を印刷することができた。情報技術は事前に決めた技術の範囲内では効率化されるが、事前に決めた範囲を越えた部分は、利用者が我慢する以外に対応する余地がない。この分、紙と鉛筆で原稿を書いていた時期には、出版段階での対応によって、多様な文書を出版できていたのではないか・・などと、紙と鉛筆と出版の関係を見直してみたりもする。デスクトップシステムの問題点を、予め定義された機能を越えた使い方に対応することが困難であることと考えるなら、紙と鉛筆と出版の関係を見直してみるのも面白いかもしれない。

 

情報民族音楽学という看板を掲げて少し調査を進めてみると、情報科学の立場で行うことは、音楽学の領域で専門家と張り合うことではなく、必要なことを気軽にメモできる環境を具体化することなのではないかと思えてくる。情報科学の立場からは、様々な領域で領域ごとに現れるメモを、メモシステムを巨大化させることなしに、扱うという課題になる。これはおそらく、ファミコンとカセット、あるいはSOAアーキテクチャとサービスの関係のように、メモ作成の共通部分と個別の問題とを切り分けられるかが鍵になる。問題を複雑化させるが、メモ内容を確認するツール、例えば、様々な音律の定義を受取ってその定義によって音を生成するシステムが同時に動けるとなおよい。

 

今から始めて5年で何が変わっているか?

*1:ある意味、電子音楽の技術とミュージックコンクレートの技術との間の優先順位を巡る試行。

*2:厳密に言えば旋法なのだろうけれど、ここではそこまで厳密には言わない。

*3:振動数比が複雑。ファは#ミという形で出てくる。

*4:バージョンアップで動作が変わってデータが使えなくなることがある。催馬楽譜をWordで書いて、pdf化した所、頁の体裁が崩れるという経験をしたことがある。