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狸系の里 シーズン2

はじめの一歩、二歩、散歩・・

指揮者と指揮という言葉のもつニュアンス

もう訳語として定着してしまっている言葉について何かを語るのも今更だけど、指揮という言葉のニュアンスと、指揮者という言葉のニュアンスとは合っているだろうか?

Wikipediaで指揮という言葉を検索すると、曖昧さ回避の頁に進む。ここには次の三つの言葉が列挙してある。

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1) 人間の集団を指図し動かすこと。

2) 音楽の演奏に指示を出すこと。

3) 裁判における裁判官のもつ指揮権。

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共通して強制力を持つ指示というニュアンスが感じられる。指揮者と言うと、立ち位置が目立つこともあり、何か、指揮棒を振る役割の職業みたいに見えてしまうらしい。そんな見え方が当然のように思えてしまう理由の一つに、日本語の「指揮」という言葉がもつニュアンスが影響しているのかもしれない。

この、指揮棒を振る役割の職業という認識は、放送大学印刷教材「日本音楽の基礎概念=日本音楽の何故=」ISBN:4595571585のような出版物にも現れることがある。6-日本音楽には何故指揮者がいないのかという節があって、本文を読む限り、指揮者の役割はタクトを振ることしか見ていない。

 

高校の合唱部やブラスバンド部に密着取材したバラエティ番組で、時々、コンテストまでの練習風景が放送されることがある。この時に、その部活動における指揮者の役割を垣間見ることが出来る。指揮者は練習を通して、演奏する部員の演奏を細かくチェックし、演奏法について様々な指導を行い、結果として音がよりよく完成されるように全員を導く仕事をしている。その練習の成果を公演する舞台では、指揮者は演奏する部員一人一人を見て、細かい指示を与えている。

指揮棒を振ることという把握では、この辺りの雰囲気が全く伝わってこないし、指導を軍隊の意味での指揮と思ったら現実とはかけ離れた連想をすることになる。また、部員一人一人への指導は、音楽の演奏に指示を出すことに違いはないのだが、それは強制ではなく、同じ目的に向かっていることを合意した上での指導であると言える。

 

この辺りまで考えると、日本音楽の基礎概念では触れられていない意味で、日本音楽に指揮者が立つことができない理由が見えてくる。

 

日本音楽でも、演奏法に関する指導を受ける機会はあるはずであり、ある意味、指揮者の役割に近い職能もあると思われる。といっても、合奏当日には指揮者が立つ立ち位置がない。

日本音楽では、楽器毎に、音楽を継承する家系が決まっている。普段の練習はその家系の中で音楽の継承を目的として充分に行われており、合奏する時には演奏家はその家系を背負って演奏する。普段の演奏について指導する人は家系の中にいて演奏には出ない。

合奏する時には、家系を背負って参加する演奏者に注意することは、家系の伝承について部外者が注意することになってしまう。

 

それは余談として・・

 

Wikipediaの曖昧性回避に相当する仕組みは英語ではどうなっているかというと、言葉を分けている。和英辞典(学研パーソナル和英辞典)によれば、軍隊などに対する指揮はcommand、楽団などの指揮はconductを使う。それではこのcommandとconductとの違いを見る。学研パーソナル英和辞典でcommandとconductを牽くと、次の訳語が出ている。

  1. a) command 命じる、命令する。支配する、指揮する。見渡す。自由に使える。(尊敬などに)値する。
  2. b) conduct 導く、案内する。経営する、(業務などを)行う。指揮する。理 伝導する。

conductの訳語、「導く、案内する」は、ツアー コンダクターという日本語にもなっている。英語で指揮者はconductorを使うので、この言葉なら、練習風景の雰囲気も伝わってくる。

 

こういう事情を見ると、オンライン辞書翻訳語を検索して、指揮はcommandと出たからといって、確認なしに、音楽の文脈に軍隊の指揮を使うことは避けたい。こういう話は慣れれば回避できる。難しいのは指揮棒を振ることが指揮者の役割と見るような、浅い観察が固定した常識について、いつでも、その常識にはまだ先がある、ということを意識しておくことだろう。