狸系の里 シーズン2

はじめの一歩、二歩、散歩・・

曲の呼び方

信楽さんは見境なく音楽を聞くので、意外な曲を話題に持ち出したりする。まぁ、狸の縁で「証城寺の狸囃子、野口雨情作詞 、中山晋平作曲」ならまだ想定内として、「西野カナのトリセツ」とか「福山雅治の桜坂」を面白がっていると、それを見て意外に思う人が出てくる。信楽さんの聞き方はFM放送の聞きながしなので、その中で記憶に残ったもの、という基準で選ぶと何が残るかなんて残ってみなければ判らない・・

 

ところで上に書いた与太話に出てくる曲には、曲名、作曲者と曲名とを合わせているものと、演者と曲名とを合わせているものとがある。思いつくまま並べてみると、ある規則性が見えてくる。この規則の由来を掘り起こしてみると、山の芋のように深い地下茎が出てきたりする。

 

まず曲の呼び方を、作曲者と合わせるタイプと演者と合わせるタイプとに分けて、思いつくまま曲名を並べてみる。

作曲者と合わせるタイプ

・花の街、江間章子作詞、団伊久磨作曲

平城山、北見志保子作詞、平井康三郎作曲

・J. S.バッハ、フーガの技法

・L.v.ベートーヴェン、第九交響曲

・F.リスト、調性のないバラード

など。上のリストはほんの思いつきで書いたので数が出ている訳ではないが、思い出してみるにつけても、作曲者と曲名とを合わせて呼ぶタイプの呼び名は*1西欧の音楽に圧倒的に多い。

西欧由来の音楽は殆ど、作曲者の曲名という組み合わせで呼ぶ。これに対して演者と組み合わせるタイプは、身近な所に例がある。

演者と合わせるタイプ

音楽を聞く機会は、放送の他にも、町内を回ってくる販売車から聞こえたり、マーケットから聞こえたり、いろいろあるが、こういう場面で聞こえてくる音楽は殆ど演者と曲名とを合わせて呼ぶタイプなのではないか。因みに信楽さんの巣穴のある地区を回る灯油販売車は、美空ひばりのりんご追分で広報をしている。

 

作曲者と曲名とを合わせて呼ぶタイプの曲は、演奏者を特定することがない。フーガの技法を演奏する演奏者は、音がずいぶん違うけれど、H.ヴァルヒャでも、G.グールドでも、不可ということはない。聞き手はそれぞれのバッハ像を聞くことになる。作曲者を合わせて呼ぶだけに、曲名を知らなくとも作曲者はおよそ想像ができるので*2演奏家は音の仕上がりの所で勝負をすることになる。ともかく、こういうタイプの曲では音を聞くので、極端なことを言えば、公演の舞台が見えなくともよい*3

 

演者と曲名とを合わせて呼ぶタイプの曲は、聞き手は実は音を聞いていなくともよい。このタイプの曲では音は上演の一部であり、聞き手はその舞台と場合によっては参加者全体の中にいて、会場の雰囲気を体験する。この聞き方をする人には、そこにいる演者を含む公演はかけがえのない対象であり、取り替えがきかない。たとえ音だけを聞くなら声に突っ込みようが様々あっても、舞台の雰囲気がかけがえなければ、代役を立てる訳には行かない*4。この辺り、作曲者と合わせて呼ぶタイプの曲が演奏者を選ばないのと好対照をなす。

 

この、曲の聞き方の違いは、聞き手にとっては常識として身についているとしても、普段からの聞き手でない人にとっては当惑のもとになる。大本の所にある理由は、音楽はそれぞれの文化圏で長い時間をかけて育ってきて今の形になっているので、その過程で採られた様々な選択の結果が集積して、ある人にとっての常識の中身が別な人にとっては思いもよらないものになっている、ということがある。例えば、ある曲がどの程度知られているかを測る尺度として、TVの放送などでは何の疑問も持たずにある期間のCDの売り上げを持ち出すのだけれど、これは明らかに、演者と曲名を合わせて呼ぶタイプの曲のための尺度であり、作曲者と曲名とを合わせて呼ぶタイプの曲にとっては尺度として使いにくい。演奏者を選ばない以上集計が難しい。

 

 あんなこんなで、音に拠る表現行為というレベルでは同じだろうというスタンスで音楽の話を気楽に始めると、相手によっては一言ひとことで言葉の定義がすれ違い、話せば話すほど話が混乱する事になる*5。この種のすれ違い解消には、まずそれぞれの立ち位置をきっちりと把握し、その把握が済んだ段階で比較に進むのがよいのではないかと思う。と言って、日本の音楽を題材にしてこれを厳密にやろうとすると、音程の約束が違うという理由で五線譜が使えなくなったり、芸能を継承する人間関係の仕組みを書きだしたり、この辺りまでならまだしも、口伝で継承される内容を記録し、分析し、整理する*6という大変な話になってくる。

 

曲の呼び方という何気ない素材にも、注意深く掘り起こすと、深い根がついてくる。

*1:日本の歌曲の中にも例があるにしても

*2:リストの音楽はリストらしい音で聞こえるし、ブラームスの音楽はブラームスらしい音で聞こえる。

*3:もちろん演奏者の演奏を妨害したら論外ではあるが。

*4:制度的にも、歌は特定の歌い手の持ち歌になっている。ごく稀に、事故で、二人目の歌い手が立つことがあるにしても。

*5:日本音楽の関係者と西洋音楽の関係者が音楽について語り合うと、芸能と芸術の狭間で会話が迷子になる。。

*6:つまり、日本の歌は本当に五音音階に従っているかを信号レベルから確認するということ。