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狸系の里 シーズン2

はじめの一歩、二歩、散歩・・

読書(1)

これからしばらくの間、読書の記録を作ってゆきたい*1

これまでいろいろな資料を浅いレベルで読んで、信楽メモなるものを作ってきた。これから本気で何かしようと思ったら、自前の道具箱に工具(ソフトウェアツールなど)を入れておくことになる。それも、目的に沿う工具をできるだけもっている方がよい。もちろん工具を揃えるには目的がしっかりしている方がよい。*2

 

伝統的な邦楽に係わる課題を参考書レベルの鳥瞰図で捉えるなら、伝統邦楽には様々なジャンルがあり、あれば便利そうなツールを想定することができる。

  1. a) 伝統邦楽のジャンル

- 上代歌謡、雅楽、声明、琵琶楽(語り物音楽)、能楽、三味線音楽、筝曲、三味線音楽、歌舞伎・・

  1. b) あれば便利そうなツール

- 伝統邦楽の楽譜を編集するツール、伝統邦楽の楽音を定義通りに再現するツール、伝統邦楽の楽譜を他の表現に変換するツール、文献資料の言語を現代標準語に翻訳するツール・・

実際に何かを始めようとすれば、鳥瞰図のような遠距離からの観察では済まない。

 

伝統邦楽の楽譜について考えてみる。

西洋音楽の常識に沿えば、楽譜は作曲家が演奏家に示す音の基準であり、楽譜の図記号には明確な意味づけがある。伝統邦楽の楽譜が示す内容は音の目安であり、音楽の詳細は継承者が口伝で伝える。従って、楽譜の図記号の解釈には(大げさに言えば)継承者の数だけのバラエティがある。

もっともこの違いは、西洋音楽と伝統邦楽との間で、音楽という言葉の意味づけが違ったために起こった現象であり、言ってみればボタンの掛け違いに過ぎない。

意味づけの違いに気付くために、「芸術」と「芸能」の関係に注意する。Wikipediaによると、「芸能」とは「芸術のうち、身体表現を手段とするもの」をいう。伝統邦楽で音楽は芸能であり、演奏者に主体性がある。西洋音楽で言う楽譜は作曲家が示す音の基準であり、この基準に基づいて演奏家が実現した音が、耳にする音楽ということになる。大切なことは、演奏家は楽譜に拘束されるのではなく、作曲家が示したはずの音に拘束される、ということであり、楽譜を一字一句違うことなしに演奏している訳ではない、ということである。つまり、演奏家が演奏している音を楽譜に取れば、一つの曲から演奏家毎に違った楽譜ができる。

 

伝統邦楽は演奏の目安であることを考えると、伝統邦楽譜の構文と意味とを電子化しようと思えば、継承者の意見を聞く事が不可欠ということになる。しかも、一人の継承者の意見を聞くだけでは終わらず、関連する継承者全員の意見を聞かなければならない。その上でできれば、西洋音楽の五線譜の意味づけに近い、ある曲であるために満たされるべき音の基準を示す譜が見えてくることが望ましい。

これを考えると、伝統邦楽に関する研究を行うには、やはり指導者につく事が必須条件ということになる。そうなると、一介の好事家の立場から見て、資料にアクセスし関係者の指導を仰ぐという壁は高いものと思わざるを得ない。一つの考え方は、筆者に多少なりとも縁がある真言宗の声明を対象に選ぶということだろうか。

 

もっともその前に、自分の工具箱に必要な道具を集め、使い慣れるところから始めなければならない。

伝統邦楽の音楽用語には特有の漢語があり、楽譜記号には特有の図記号がある。特有の漢語は辞書を作っておくと、かな漢字変換の労を軽くできる。

楽譜記号は図記号を設計しておくと文書中に引用し易い。また、先に進んで、楽譜記号が指す意味を継承者と対にして収集する際には基本的なデータとなる。

さらにその先には、音楽理論を理解し、音楽を再現するという話題が見えてくるはずなのだが、その大変さに気付くにはもう少しその現場に近づく必要があるのだろう。

*1:しばらくしたらOneDriveにも載せます。

*2:最近、電動ドライバを使っていくつかの工作をしたことがあり、たかが木ネジでも、硬い木材に何かを止めようと思ったら手作業では歯が立たず、電動ドライバなしでは済まなかったことがあった。