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狸系の里 シーズン2

はじめの一歩、二歩、散歩・・

現象と法則、実践と基準あるいは・・・

自然現象は自然界の法則に従って起こる。さらっと言われるとごもっともという以外にない。ここで「自然現象」という言葉にもう少し拘ると、意外に底が深い所にある事に気付く。「自然現象」という時には、決して、目に見える、あるいは耳に聞こえる・・現象そのものではない。

高い所から物を落とすと、重いもの(鉄の玉など)は軽いもの(鶏の羽など)より早く落ちる。日常起こる出来事を「自然現象」と思うと、自然界では「重いものは軽いものより早く落ちる」と言いたくなるが、これは出来事レベルの話であり、これを「自然現象」の箱の中に入れるためにはこの出来事を見る見方を決める必要がある。物を落とす場合には、落とす出来事が起こる場所がもつべき特性(静止しているか動いているか、どのような力が働いているか)の指定がある。「現象」を自然界の法則の形で書くにはさらに見方に関する指定が加わる。物を落とす場合なら、物の形が落ちている最中に代わる事がないという仮定(剛体仮説)を置いて、物に働く力を一点の重心に纏める。そうすると、ニュートンの法則をこのものの落下に関する現象に適用出来て、重心の運動に関する方程式が立つ。

 

これが音楽とどう関係するかを言う前に、言葉遣いを整理する。

自然現象に、法則、現象、出来事の三段階の見方を認める。

これは音楽の場合に、対応する次の三段階を認めてよいのではないか、という事でもある。

‐規範:楽譜に書かれた音楽の仕組み、

‐実践:演奏家が意図する演奏(を記録する楽譜)、

‐現象:聴かれる音

規範(楽譜)と現象(音楽音)との関係は単純ではなく、西洋の音楽でさえ、演奏家は楽譜に書かれたとおりに演奏している訳ではなく、演奏家による楽譜の解釈が行われている。ピアノの場合、鍵盤を押すタイミング、鍵盤を押す力、ペダルの使い方をはじめとする演奏家の裁量で音が変わってくる。さらに演奏家の実践と演奏されて聴かれる音(現象)との間には、ピアノの調律技術・整備技術、会場の設定など、音が影響を受ける要素がある。

 

こんなことを考えると、前の記事で計算した音程の仕組みは、楽譜に書かれた音楽の仕組みの分析ではあっても、演奏家が意図する演奏の分析には直接は繋がらず、ましてや、当日の会場や楽器のコンディションに影響をうける実際の音を分析して音楽の性質を調べる活動からははるかに遠いと言わざるを得ない。ただ、互いの間に包含する関係があってもよいと思える。

採譜という作業はこの、実際に演奏された音のいくつかの例から始めて、演奏家の意図する演奏、さらには楽譜に書かれた音楽の仕組みを明かそうという試みの実践であると言える。今の所直観的な判断ではあるけれど、これらを直接繋ぐ経路を見出すことはまだ難しく、出来る事は各段階で資料を集めて整理し、各段階での見え方をはっきりさせることなのではないか。うまくゆけば、包含関係の外側にある基準を使って内側の基準を整理できるかもしれない。例えば、その音楽には狭くとも半音までの音程しか出てこない事がその音楽の理論上から保証されているなら、採譜データの処理結果に半音より狭い音程が現れた場合、これを例外事象として扱うことができる。演奏上のミスか、あるいは表現上の意図か、ここは判断が必要になる。