狸系の里 シーズン2

はじめの一歩、二歩、散歩・・

何か読みにくいなぁ

手元に「日本音楽の基礎概念」*1という本がある。日本音楽の本は探さないとなかなか手に入らない事もあって、手に入った本については丁寧に読もうとする。この本は15項目の質問に著者が回答するという体裁で編集されている。副題に「日本音楽のなぜ」とあり、日本音楽について読者が陥りがちな疑問に答えるという内容をもっている。比較のために西洋音楽の事物を引用しているのだが、なんか読みにくい。

たとえば項目6の「日本音楽にはなぜ指揮者がいないのか」をみる。この項目6の解説文中では、筆者は指揮者を「タクトを振って演奏者を指揮し、音を揃える」役割をもつと捉えている。さらに日本音楽は音を揃えないものであるとして、指揮者の職能には否定的な見解を書いている。つまり、読者への回答は、要約すれば、「音を揃えるという指揮者と言う職能は知っているが、日本音楽の特徴とは合わないので、日本音楽では指揮者がいない。」あたりか。

これはこれで一理はあるのだけれど、見方が浅すぎという印象も残る。

以前テレビで高校のブラスバンドの部活に密着した放送があって、そこでは指揮者は演奏者の創意の方向性を指導して、音楽の音を仕上げるという役割をもっていた。上の回答では音楽の音の仕上げを指導する役割については全然触れられていない。

上記の項目6の回答文をこのあたりまで踏み込むように直すとすると、信楽さんなら例えば次のようにもってゆきたい*2

  1. 伝統邦楽の常識に従えば演奏者は、それぞれが所属する家系で日々修練に励み、演奏当日は家を背負って参加することになる。その演奏家の演奏を当日に指導する人など不要であり、また、よほどの偉い人でなければ家を背負って参加してくる人に指図なんかできない。
  2. 西洋音楽の常識に従えば、ある曲の演奏は特定の家が継承するということはなく、演奏者の総意に基づいて企画されるプロジェクトとして行われる。この場合には演奏を仕上げてゆくために、演奏者の創意を方向付けて取りまとめるリーダー役の人物が必要になる。指揮者はこのプロジェクトリーダーの役割を負う。*3

全くの初心者か伝統邦楽の関係者なら原文のままで納得してもらえるのだろうけれど、中途半端ではあってもその外側についても知見がある人*4にとって浅い比較はかえって気持ちがひくもとになる。音楽のような対象を隅々まで知るなど、ジャンルを限定したってできるわけがないので、不注意に言葉を使うと文章の作者が想定していない範囲について何か一言言ってしまう事にもなる*5。まずは使おうとしている言葉の全てについて、予め意味を定義して、その定義の範囲を超えないように注意する、位の注意は必要だろう。

*1:[ISBN4595571585]。放送大学の印刷教材。

*2:実際に文を起こすほどの才覚はない。あくまで構想^^;

*3:但し、指揮者がいつでもタクトを振るかというとそうでもなく、曲の演奏法によっては、第一バイオリンの主席奏者が兼ねたりすることがある。演奏者が指揮者を兼ねる場合には、タクトを振る人はいないが演奏を指導する人はいることになる。

*4:筆者とか^^;

*5:上記「日本音楽の基礎概念」項目8の「日本音楽ではなぜ調弦・調律をしながら演奏するのか」の最後のパラグラフに「ピアノはなるべくアマチュアの出る余地をふやそうとした結果のあらわれである。不器用な民族が考えた結果であろう。」という残念な文章がある。日本音楽の関係者にとっては音楽とは「由緒正しい家系が継承する技芸」という意識がこう言わせているのだろうとは思いつつ、日本音楽の関係者以外には理解できない文になっていると思わざるを得ない。相互理解を達成するには自身の言葉遣いにも注意しないと。