狸系の里 シーズン2

はじめの一歩、二歩、散歩・・

翻訳は罪作り

どのような言葉にも辞書的な意味だけでなく様々な意味が付け加わる。だから翻訳は、原語の辞書的な意味を翻訳語の辞書的な意味に置き換えるだけではだめで、付け加わった意味が落ちたりする。歌の歌詞の場合、原詩なら可能な解釈が翻訳詩では難しくなることがある。こうなると、翻訳は時に罪作り・・ということもある。

 

シューベルトの歌曲集「冬の旅」にはいろいろな理解の仕方があって、詩の理解にはいろいろな世界観が出てくるのは当然なのだが、放送大学で笠原先生がこの曲を取り上げて解説されていた時に、翻訳詩からは考えにくいある解釈を思い付いた。

 

菩提樹の中ほどに直訳すると「冷たい風が額をうち、帽子を飛ばした。でも私はそれを取りに行くことはなかった。」という詩句が出てくる。笠原先生に拠ればこの帽子は、当時は身分証明書の役割を果たしていたという。帽子を追わなかった、ということは、社会的な身分を捨ててしまったことになり、これ以降主人公は対人関係からも自然界からも阻害されてゆくことになるのだ、という。

 

そう言えば第一曲「おやすみ」の歌詞には、「彼女は愛を語り、彼女の母は結婚を口にし」それでも自分は「見知らぬものとしてここを去る」という内容がある。親方の下で修業に励めばもしかしたら成功したかもしれない環境に何故か背を向け、身分証明としての帽子にすら愛着をもたない主人公。これを思うと、最後の2曲にはとても示唆的な内容を感じる。

 

最後から二曲目は「幻の太陽」という題で、次のような内容をもっている。「目の前の空に三つの幻の太陽が浮かんでいた。そのうち二つはもう沈んでしまい、残っているのはただ一つ。こいつも早く沈んでしまえ。」

最後の曲は「辻音楽師」という題で、主人公がふと目にとめた辻音楽師(ストリート ミュージシャン)の姿を描いている。ライアーという楽器を弾くがほとんど誰の注意もひかず、あがりもなく、凍えそうになりながらもそれでも生きるために演奏を続けている。主人公は、自分もこの辻音楽師と一緒に旅をするのが似合っているのかもしれない、と思う。

 

この「三つの幻の太陽」とは何だろうか?

 

一つの解釈として、「自由・平等・博愛」という生き方を指しているのかな、と思った。自由を求めてそれまでの生き方(親方の下)から飛び出し、平等を信じて身分証明を追わず、その結果の疎外感に「自由・平等」という太陽がすでに沈んでしまったことを感じ、あとは「博愛」に頼るほかない状況にあって、辻音楽師に共感をもつ、という。*1

 

歌曲がどこまで現実を反映しているかは良く判らないからこれは個人的な一つの解釈にすぎない。でも、シューベルトの時代は時代の変わり目で、音楽を保護する力が衰退し、作曲家は自分の作品を売って自分で生計を立ててゆかざるを得なくなっていたということは確かにあった。だから、せっかく完成していた「未完成交響曲」の第三、第四楽章を別な仕事に転用し、その結果この交響曲は「未完成」に終わった、という説もある。

 

こういう解釈は原詩の解説を聞いて初めて思い至るので、翻訳だけに頼った理解も危ういこともある。言葉がまわりにもっている意味が失われると、可能な解釈ができなくなることがあるので。そういうこともあるから、本当に思い入れのあるテキストについては、翻訳に頼るだけでなく自分で徹底的に意味に当たるとよい。面白い発見をしたりすることもあるから。

*1:ベートーヴェンの第三交響曲「英雄」にまつわる逸話なんかも思いつつ。