狸系の里 シーズン2

はじめの一歩、二歩、散歩・・

音楽と科学

手元に「音楽と数学の交差*1」という本があり、同じカテゴリに入る本がどのくらいあるかを検索してみたらAMAZON検索で14頁見つかった。音楽は昔から膨大な研究成果が積み上がっているから今さら追加するものなどあるのか、と思いたくなるのだが、筆者にとっては次のような事情があり、退職から今まで拘ってきた。

 

学校にいた頃、というとかれこれ40年位前のことになる。柴田南雄著「音楽の骸骨の話*2」の6章にこんな文章を書かれていた。

兼常清佐の、民謡の科学的研究への姿勢が、今日一人の後継者もなく、その研究成果それ自身さえ忘れられているのはまことに残念なことだ。」

兼常清佐日本民謡研究は、昭和26年までの(つまり商用電子計算機が漸く現れる時期以前の)期間に行われている。形だけ見ると、ディジタルな音声学の手法を民謡研究に適用した仕事に見える。具体的には、声の波形を映画のフィルムに記録して、顕微鏡で波形を観察して波長を求め、手動式の計算機で声の高さを求めて、歌の特性を記録している。

この手順を実行するための計算機システムを作るのは単純な作業のように見えたので、今なら後継者として活動するのも簡単だろう、などと考えていたのだけれど、事はそう単純には行かなかった・・・

 

波形として記録された「音楽」には、記録した時の環境条件*3が繰りこまれている。波形から得られる音は物理的な現象の記録であり、音楽を記録するにはそこから更にひと手間かける必要はないか。

兼常清佐日本民謡研究では、五線に採譜された民謡は採譜前の形と全く違う、という指摘がある。これには一つ異論があって、五線に採譜された民謡は「五線譜の約束に従って読む限りは」採譜前の形と全く違うものになる、という事なのではないか。言いかえると、五線譜の約束とは違う約束に従えば、採譜前の歌を読めるのではないか・・?

 

結局、なにやかや考えて、こんな結論に行きついた。

「音楽の科学的研究」は、「音楽」、「科学」に自分なりの定義を与える所から始まる。

 

言葉の直感的な定義は、具体的に比較すると、人によって違っている可能性がある。音楽を作曲家の創作物と捉えるなら、「名曲」という言葉は、同時代と後世の作曲家・演奏家に大きな影響を与えて時代を作った曲を形容するにふさわしい*4。音楽を演奏家の公演と捉えるなら、「名曲」という言葉は、聴衆に対するアピールを表す尺度*5で測るのがふさわしい。同じ言葉が全く違う内容で使われている。研究成果は社会的な資産として残るものであるなら、自分の言葉は隅々まで自分の定義で使いたい*6

 

今さらプロの研究家でもないので勝手なことをやってきて、それでもようやく、清水の舞台を遥か彼方に拝む参道に辿りついたような気分ではあります。でもいつになったら清水の舞台に立てることやら。

*1:ISBN:4272440381

*2:AMAZONでは古書の扱いになっている。ASIN:B000J8K7FQ

*3:演者の癖、伴奏音、ノイズなど。伴奏がある音楽を伴奏なしで演奏すると演者が影響を受けることもあるだろう、など。

*4:五線譜と調性は現在に至るまで影響を与え続けている。

*5:売り上げとか

*6:但し、最も基本的な言葉の定義を言葉で与えようとすると泥沼に落ち込む・・