狸系の里 シーズン2

はじめの一歩、二歩、散歩・・

語り歌い

日本の音楽は歌が主で、しかも、語るような歌いくちが特徴的に思える。もちろん民謡の中には八木節のように歌そのものという曲があるが、同時に江差追分(一般に追分節と呼ばれているもの)のように語りに近い歌い方がある。こういう特徴が判りやすい、外国語の言い方があるだろうか?こういうことを考える時には、同時代や同じ地域だけに目を向けているとあまり面白いものにぶつからない。時間と空間を越えて想像力を働かせてみると、意外なものを見つけたりもする。以下、筆者がふと立ち止まった項目などを。

 

声だけの音楽と楽器の音楽とを比べると、声だけの音楽は楽器の音楽と比べて未発達と思いたくなりがちだけれど、必ずしも的を得ていない。要はそれぞれの完成度の問題。

 

古代のギリシャ詩人ホメロスWikipediaでひくと、吟遊詩人であり、携帯型のチターと形容できそうな楽器を演奏しながら語る像*1が掲載されている。これなどを見る限り、琴のような楽器を奏でながら詩を唱えるというスタイルが紀元前6世紀ごろのギリシャにあったことが見て取れる。

日本の縄文時代には、和琴を弾く人物の埴輪が残っている*2。この像が演奏している音楽についてはおそらく判ってはいないのだろうけれど、何かの詩を唱えていた姿であることは想像に難くない。

さらに、フィンランドの民族叙事詩カレワラに出てくるカンテレの由来などを見ると、語り歌いというジャンルは、楽器の音楽とは別の分野として、多分確立している。実際、フィンランド語にはrunoという言葉があって、歌う詩を指すと記憶している。

 

では、歌う詩をどうイメージすればいいのだろうか。ここで三つのドイツ語をもちだしてみる。一つはSprechGesang、一つはSprechStimme、最後にSprechChor。

SprechGesangはシェーンベルクがいくつかの作品で使っている語り歌いの技法であり、譜を見ると、×記号が旗についた音符が書いてある。この音符は、開始位置では正確な音高を取ってその直後にその高さから離れ、歌と朗読の双方の表現力を追求することを示す、という。SprechStimmeは、直訳すれば「語る演奏」だけれど、SprechGesangと同じ意味で使う。SprechChorは、直訳すれば「語る合唱」であり、シェーンベルクのオペラ「モーゼとアロン」の出だしの所で使われている、五つの声から構成されるSprechGesangを連想するが、日本語では音楽の分野より労働運動の分野の用語(シュプレヒコール)になっている。

西洋の音楽は楽器が主体で、声の出し方は楽器に従うものになっているので、SprechStimmeの意味ははっきりしない。日本の伝統邦楽では楽器が声に従っているようにも見える位に、どの楽器も、ポジションを構えつつもそのまま音の高さを調整できてしまう。こういう特性は、SprechStimme的な特性と言ってもよいにではないか。さらに、催馬楽のような音楽では、声を主導する先導者一名が歌い始め、譜に「付所」という指定がある所で参加者(多数)の声が入ってくる。このあたりの表現は、労働運動の意味でなく、ドイツ語の直訳の意味でのSprechChorと言ってもよいのではないか。

 

こんなことを思いながらSprechStimmeを検索していたら、国立(くにたち)音大の研究者がSprechStimmeを研究し、論文を発行している事が判った。こういう先行研究は、自分が使う言葉をどの領域に着陸させるかを決めて、その領域を読者に示す意味で、重要なステップになる。いつかは通過しなければならないのだが、なかなか思い切れない。

*1:フィリップ=ローラン・ロラン作

*2:参考、山田光洋著、楽器の考古学、同成社1998年12月、表紙